ユダヤキリスト教にもとづく負債ー奴隷文明から世界を解放できるのは日本文明か?

世界の宗教的教えはすべて負債という観念を基盤としている。あなたは神に対して負債を負っている。その負債をこの世で返済しなければならない、というわけだ。それがカルマや原罪といった言葉の真の意味である。

ただし例外がひとつだけある。神道だ。日本の神道では、人は「神の分け御霊」とされている。そこでは人は本質的に神と一体である。一体である以上、そこには負債という観念はない。あるのは神と一体であるという絶対的な歓喜だけである。

当然ながら、そこには負債観念にもとづく支配ー被支配という概念、すなわち人を奴隷として働かせるという考え方はない。日本において「社畜」という言葉が怒りの対象にではなく、自嘲の対象にしかならないのは、奴隷支配という概念に現実味がないからともいえるだろう。

しかし、このことは一部の人が憂うるほど悪いことではない。それは日本文明の特異性を示すものであり、日本文明こそ今の行き詰まったユダヤ・キリスト教文明に取って代われる可能性があるということに他ならないからだ。

ユダヤ教的負債観念に基礎を置く現在の経済システムの行き詰まりーー。それを打破し、新たな地平を切り開けるのは、あるいは2000年にわたり世界の片隅でひっそりと育まれ、19世紀後半、運命に導かれたかのように突如として世界史の表舞台に登場したわが日本文明なのではなかろうか?