
なぜ私たちは働くことに違和感や嫌悪感を覚えるのか
近年、「アンチワーク」という言葉が注目されるようになりました。
これに対してはしばしば、「働きたくない若者の甘え」や「努力を否定する風潮」として批判されがちです。しかし、本当にそうなのでしょうか。
私は、アンチワークーーここでは労働嫌悪としてとらえますがーーは労働そのものへの拒否ではなく、現在の経済構造に対する直感的な違和感だと考えています。
なぜ働くことが空虚に感じられるのか
現代社会では、貧富の格差が拡大し、経済は主に富裕層の需要を軸に回っています。その結果、多くの労働者は、自分の仕事が誰のどんな生活を支えているのかを実感しにくくなりました。
「こんな商品やサービスは、本当に世の中に必要なのか」
そう感じながら働く経験は、決して珍しいものではありません。
この感覚こそが、労働嫌悪の正体です。
それは「働きたくない」のではなく、「意味の見えない労働を強いられることへの拒否」なのです。
労働嫌悪は、健全な反応である
労働に疑問を抱くこと自体は、むしろ健全です。
人は本来、自分の行為が誰かの役に立っていると感じられるときに、最も意欲的になります。逆に、そのつながりが断たれたとき、労働は単なる苦役へと変わります。
つまり、労働嫌悪は個人の問題ではなく、労働と社会的価値を切り離してしまった経済の側の問題なのです。
ここにあるのは、チョコレートを一度も食べたことのない植民地労働者がカカオ豆農場で働くのと同じ構図です。
労働嫌悪に対する「解決策」としてのBI
ベーシックインカム(BI)は労働嫌悪の結果として生まれた、労働を一方的に敵視する制度ではありません。
むしろ、労働嫌悪を解消するための現実的な解決策にもなりうるものです。
BIによって、国民全員が最低限の購買力を持つようになると、経済は再び「多くの人の日常的な需要」を中心に回り始めます。
すると、労働の成果が向かう先は、投機的な消費や誰が使うのかわからない過剰な嗜好品や贅沢品ではなく、生活を支える分野へと戻っていきます。
この変化は決定的です。
労働の目的が、抽象的な市場やどこか遠くにいる富裕層ではなく、目に見える具体的な隣人の生活になるからです。
「働かなくていい社会」ではなく、「納得して働ける社会」へ
BIは、「働かなくていい社会」を目的とするものではありません。
それは、「働くかどうかを選べる社会」を目指すものです。
選択の自由が生まれたとき、労働は強制ではなく関与になります。
意味のない仕事から距離を置き、本当に必要とされる領域に人が流れていくーー。そうなれば、労働嫌悪は結果として自然に薄れていくことになるでしょう。
労働嫌悪とは、社会の異常を告げるアラームです。
ベーシックインカムは、そのアラームを無視するのではなく、原因そのものを修正する制度なのです。
