「肩の上に立つアトラス」ーー新自由主義者が見落としたもう一つの経済圏

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『肩をすくめるアトラス』という小説があります。 ロシア系アメリカ人作家のアイン・ランドが1950年代に書いた作品です。この作品は、新自由主義や極端な自由市場思想の「バイブル」として、今なお多くのビジネスリーダーや政治家たちに読み継がれています。

作中でランドは、次のような主張を展開します。 「社会を支えているのは、才能と努力に恵まれた一握りの『優秀な個人』である。世界をその肩で支える巨人アトラスにもたとえられる彼らが搾取され、やる気を失うことによって、文明は衰退していくのだ」と。

しかし、この主張には決定的な視点が欠けています。 それは、人間社会には市場経済とは別に、「贈与経済圏」と呼ぶべき広大な領域が存在していることへの認識です。

アイン・ランドの議論は、この贈与経済圏の存在をほとんど無視して組み立てられています。その意味で、彼女の主張はきわめて一面的であり、ある意味「暴論」と言ってもよいものです。

「成功は個人の力」という大きな勘違い

ランドは、「富裕層や成功者は自らの力で価値を生み出し、その力によって社会を支えている」と説きます。だからこそ、高い税金や規制によって彼らの足が引っ張られるのは、社会的な不正義である、という論理です。

ですが、これは大きな勘違いです。 なぜなら、どれほど輝かしい成功を収めた個人であっても、「完全に自分ひとりの力だけで」価値を生み出している人など、この世に一人も存在しないからです。

少し足元を見つめ直してみれば、そのことはすぐにわかります。 私たちは誰もが、生まれた瞬間から膨大な「贈与」を受け取って生きています。

先人たちが作り上げた「言語」や「数学」、「科学」の知見

社会を円滑に動かす「法律」や「治安」

生活の基盤となる「道路」や「水道」などのインフラ

そして、過去の無数の人々が積み上げてきた「文化」や「知的遺産」

これらはすべて、誰かが市場的な見返りを度外視して残してくれたもの、あるいは無償で受け継がれてきたものです。

私たちは誰もが「巨人の肩」の上に立っている

この「共同体的な基盤(贈与経済圏)」の上に立って初めて、私たちは教育を受け、仕事をし、事業を起こし、富を築くことができます。市場での成功は、あくまでこの強固な土台があって初めて可能になる「結果」に過ぎません。それも多くの場合、僥倖的な機会や環境がもたらした偶然の産物であるケースがほとんどです。

もちろん、成功した起業家や富裕層も同様です。 彼らもまた、公共インフラを使い、教育制度に育まれ、安定した社会秩序の中で活動しています。どれほど「自己責任」や「自助」を強調しても、その前提として、巨大な共同体の支えがあることは否定できない事実なのです。

にもかかわらず、「自分たちこそが社会を支えている」と思い込み、他者や社会全体への責任を切り捨ててしまうとき、そこには決定的な視野狭窄が生じます。「自分自身がいったい何の上に立っているのか」という問いと、それにともなう視線が、すっぽり抜け落ちてしまうのです。

傲慢な神話を超えて

アイン・ランドが描くアトラスは、まるで世界を肩に担ぐ唯一の存在であるかのように表現されます。

しかし現実には、そのアトラス自身が、さらに別の巨人の肩の上に乗っているのです。 その巨人こそが、贈与経済圏としての「社会」であり、「歴史」であり、「共同体」にほかなりません。

私たちは皆、例外なく誰かの肩の上に立って生きています。 この謙虚な事実を忘れたとき、「努力」や「成功」という言葉は、他者を排除する傲慢な神話へと変わってしまいます。

新自由主義者たちのバイブルといわれた『肩をすくめるアトラス』という物語が見落としたもの。 それは、私たちが受け取っている「目に見えない贈与」への想像力だったのではないでしょうか。

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