資本主義と宗教ーー負債観念の上に構築された搾取システム
金を貸してやるからこれで博打を打ってこい。勝ったら分け前を寄越せ。ただし負けても金は返してもらうぞ。これが資本主義の本質的な光景だ。そこにあるのは「働かざるもの食うべからず」というより「博打を打たないものは奴隷になるか、飢えて死ね」というメッセージである。
現代社会とは要するに負債の圧力にさらされた人間の他の人間に対する暴力の連鎖であり、互いにその中にからみとられた支配ー被支配のネットワークである。根本にあるのは負債をベースにした近代の貨幣システムだ。
現代社会においてこの負債観念を強化する役割を担っているのが宗教だ。とくに怪しげな新興宗教は人々の中にある負債観念を操作することで洗脳し、特定の方向へと導く。つまり現代人は貨幣システムと宗教的教義の中で奴隷にされているのだ。
カルマやら原罪を説く宗教には警戒したほうがいい。善行を施し、負債を返済したら自由になれるというのは多くの場合、信者を負債観念で縛り、精神的な奴隷にするための巧妙なレトリックにすぎないからだ。
神とは無条件の贈与だ。そしてあなたもまた一人の神である。そのためあなたが行う世界への行為は負債とは何の関係もない。それは負債の返済としてあらかじめ計算されたしみったれた「善行」などではないのだ。すなわち、あなた自身がその一部である世界との間には本来いかなる負債もカルマも存在しないし、あなたの行為は純粋な贈与以外の何ものにもなりえないのだ。