貯蓄が有り余っている日本にBIの財源問題はない

前回の記事の続きです。

財源を供給力が生み出す余剰ととらえれば、これだけ生産力が発展した現代日本においてBIの財源がないなどありえないことは理解していただけたのではないでしょうか。しかし、問題はその余剰の「量」をどうやって把握するかです。経済学には「潜在供給力」というこれに近い概念がありますが、残念ながらこれはあまり当てになりません。

というのも、機械や設備の稼働状況でそれがある程度測れたかつての工業化社会ならいざ知らず、現代の知識資本主義社会では、価値を生み出す主要な源泉が情報やアイデアへと移り変わっているからです。そこでは一人の天才が突如として画期的なアイデアを生み出し、それが国の経済を一変させる可能性すらあります。こうした社会において、潜在供給力を直接測ったり予測したりすることは、きわめて困難です。

では、余剰の量を把握するのはまったく不可能なのかといえば、必ずしもそうではありません。手がかりはあります。それは貯蓄です。

貯蓄は「余剰の写し鏡」である

貯蓄とは、本来なら消費されるはずだったお金が使われずに残ったものです。
言い換えれば、供給力が生み出した「余剰」が、実体経済で活用されずに滞留している状態を示すものです。

要するに、貯蓄が多いということは、それだけ多くの「余剰」、つまり「潜在供給力」がその裏にあることを意味します。そして、繰り返しになりますが、「余剰」は「供給力」であり、それはすなわち「財源」でもあります。したがって貯蓄額は社会における「財源」の大きさを示す指標になりうるといえるでしょう。

ただし、貯蓄は経済の循環から外れてしまったお金でもあります。もしそれが消費や投資に回っていれば、さらに生産が刺激され、供給力が引き出されていたはずです。ということは、貯蓄は、それだけ潜在供給力を損なっている、ともいえます。つまり、貯蓄は、潜在供給力を示すと同時に、それを損なっているという相矛盾した側面を持っていることになります。

とはいえ、そうした撹乱要因を差し引いても、貯蓄額がわかれば、余剰、すなわち供給力、そして財源の量をある程度推測することは不可能ではありません。

日本は「貯蓄が有り余っている国」である

では、日本の場合、その貯蓄額はどの程度なのでしょうか?

2024年時点で、日本のマネーストック(銀行や政府以外の経済主体が保有するお金)は約1600兆円に上ります。一方、同年のGDPはおよそ550兆円です。貨幣の流通速度などを無視した単純計算になりますが、ここからは約1000兆円以上のお金が「使われずに貯め込まれている」ことが読み取れます。

もちろん、貯め込まれているといっても、それらは文字通りのタンス預金として現金の形で眠っているわけではありません。多くは金融商品の購入などを通して金融経済部門を潤しています。

しかし、実体経済(モノやサービスのやりとり)における消費に直接貢献していないという意味では「使われずに貯め込まれている」と言って差し支えないでしょう。たしかに金融経済にあるお金は投資という形で実体経済を下支えしている側面もありますが、実際にそうしているのはほんの一部でしかありません。残りの大部分は実体経済とは切り離された状態で、金融経済という閉じた世界の中をグルグル回っているのが実情です。

さらに、日本全体の金融資産を見ると、それは約9000兆円に達し、そのうち家計だけでも約2200兆円を保有しています。これらの数字からも、実体経済に流れず、バブル化した金融経済の中で「無駄に回っているだけのお金」がいかに膨大かが見えてきます。

政府の借金は「国民の資産」である

「そうはいうものの日本には1.35京円もの政府債務があるではないか」
と思う方もいるかもしれません。

しかし、ここで現代貨幣理論(MMT)の視点を取り入れると見方が変わります。MMTによれば、政府の債務とは国民の資産の裏返しです。つまり、政府の赤字は国民の黒字です。ということは、政府には1.35京円の債務がありますが、同時に国民はほぼ同額の資産を持っていることになります。

こうしてみると、いずれにせよ日本には膨大な量の貯蓄があるのがわかります。そして、それだけ多くの貯蓄があるということはすでに示した通り、それだけ多くの余剰ーーすなわち財源があることを意味します。

したがって「BIの財源はどこにあるんだ?」という問いには、こう答えることができるでしょう。これらの「遊んでいるお金」に課税し、回収すれば十分確保できる、と。

BIは貯蓄の切り崩しではなく「投資」である

ここで、誤解しないでいただきたいのは、これは貯蓄を食いつぶせ、という話ではないことです。

では、どういう話かといえば、投資です。何に対する投資か? 将来の供給力に対する投資です。

貯蓄を財源としてBIを支給すれば、その分、消費が喚起されます。消費が喚起されれば生産が刺激され、供給力が高まります。供給力が高まれば財源が増えます。その増えた財源を元により多くのBIを支給すれば、さらに消費が喚起されます。以下、同じサイクルが繰り返されますーー。

ここにあるのは、BIが供給力を押し上げ、押し上げられた供給力がさらに潤沢なBIの財源を生むという正のフィードバックループです。つまり、これは単なる貯蓄の切り崩しではありません。それは、貯蓄という「遊休資金」を将来の供給力に転じるための「投資」なのです。すなわち、金融経済に滞留しているお金を実体経済の中に戻すと同時に、そのお金を将来の供給力を確保し、また強化するための投資スキームに組み込むための呼び水とすることーーそれがBIのもうひとつの役割なのです。

会社の給料をいったん国を経由して支払ったら?


それでも納得いかない人はこう考えてみてはどうでしょうか?

まず前提として、現在の日本社会においては、すべての人がすでに何らかの手段でお金を得てそれなりの生活をしています。これは厳然たる事実であり、この点について、大きな異論はないでしょう。

その上でひとつの思考実験をしてみましょう。

多くの人はサラリーマンとして会社から給料を受け取っています。たとえばある人は、月に30万円の給与を得ています。ここで、その給与が直接会社からではなく、いったん国を経由して支払われるケースを想像してみてください。

具体的には、会社がまず30万円を国に納め、その後、国が「10万円は国から」「20万円は会社から」として本人に支給するという形です。またその際、10万円は成果にかかわらず社員であれば誰でも保障されるいわゆる基本給の分、20万円は本人が挙げた実績に応じた成果給の分として見るとよりわかりやすいかもしれません。

この場合、基本給に相当する国からの10万円をBIとみなすことができますーー。

さて、この思考実験から何がわかるのでしょうか? それは、この仕組みなら別に追加の財源などなくとも、今すぐにでもBIが導入できるということです。なぜなら、今すでに「全員がお金を得てそれなりの生活をしている」以上、このような単純な再分配方式でもBIは可能だからです。

もちろん、これは「BIを導入しても人々が労働をやめない」という前提に基づく仮定の話です。しかし、実際に労働退出が起こるかどうかは不確実ですし、仮にある程度の労働退出が起きたとしても、AI・ロボットの進化による生産力爆発とそれによる大失業時代の到来を思えば、それはもはや大きな問題にはならないでしょう。であれば、この思考実験もそれほど的外れなものとはいえないはずです。

こうして見ると、
「財源がないからBIは不可能だ」という主張は、ものごとをいたずらに複雑にとらえた末の誤解にすぎないことがわかるのではないでしょうか。

要するに、ここにあるのは、「分け合えば余るが、奪い合えば足りない」というごく当たり前の話でしかないのです。


次回は、「そうはいっても財源がなぜないように見えるのか?」という問題について、またその次の回は「政府通貨発行を財源にする方法」についてみていきたいと思います。

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