ベーシックインカムの財源問題ーーそれは本当に「問題」なのか?

ベーシックインカムをめぐる議論の際、必ず上がってくる声があります。それは「財源をどこから持ってくるのか」という問いです。

そこで今回は、この財源問題について考えてみることにします。

ただし、出鼻をくじくようで恐縮ですが、私はこの「財源問題」については、それほど重要なものとは考えていません。もっといえば「どうでもよい」とすら思っています。なぜなら、財源は「当然ある」し、そもそも「財源がない」などというのは誤解、もしくは意図的な曲解でしかないと思っているからです。

え、どういうこと?ーーそう思われた方も多いでしょう。

財源とはそもそも何なのか?

これを理解するには、まず「財源とは何か?」という本質的な問いからはじめる必要があります。

財源とは何か? それは突き詰めれば社会における余剰のことです。社会全体の生産力が、すべての人が生きていくために必要な最低限のニーズを超えて生み出す余剰――それが財源の正体です。

たとえば、すべての人が朝から晩まで働いて、ようやく今日食べる分の食料を確保できる社会を想像してみてください。その社会に余剰はありません。したがって、財源も存在しません。

しかし、技術の進歩や生産性の向上によって、全員の生存に必要な量以上のモノやサービスを生み出せるようになったらどうでしょうか。

そこには余剰が生まれます。つまり、その時点で財源は「存在している」ということになります。

財源は人類史の初期段階から存在していた

この視点に立てば、財源という概念は決して現代資本主義に特有のものではありません。むしろ、人類史のかなり早い段階から存在していたと言えるでしょう。

原始社会では、狩猟や採集によって得た食料が、生存に必要な量を上回ることがありました。その余剰は、共同体の成員に分配され、みんなで共有されていました。

つまり、そこで生まれた余剰は、社会全体の「財源」として機能していたのです。この事実は、財源というものが高度に発達した経済システムを前提にしなくても、生産力の余剰さえあれば、どんな社会にも存在しうることを示しています。

現代社会で「財源がない」は成り立つのか?

では、現代社会はどうでしょうか。

テクノロジーの発展によって私たちは、より少ない労働で、かつてとは比べものにならないほど大量のモノやサービスを生み出せるようになりました。
原始社会と比べれば、その供給力の差は歴然であり、圧倒的です。

にもかかわらず「財源がない」と言うのは、どう見ても無理があります。それどころか冷静に考えると、かなり奇妙な主張です。

なぜならそれは、「現代社会は原始社会よりも余剰が少ない」と言っているのと同じだからです。そんなことが本当にあり得るでしょうか。

少し立ち止まって考えてみてください

もうすぐ人類は火星に人間を送り込もうとしています。
それほどの技術力と資源動員能力を持ちながら、「生活を保障する財源がない」と言うのは不自然ではないでしょうか。

世界の上位1%の人々が、残り99%に匹敵するほどの富を持っている一方で、「財源がない」と言うのはおかしくありませんか。

世界中で戦争と破壊のために莫大なお金が使われているのに、生活のためのお金が「出せない」というのは矛盾していませんか。

こうした状況を前にして、なお「財源があるかないか」を議論すること自体、私には何かの冗談か戯言のように思えてなりません。

財源問題の本質は「意思」の問題である

こうして考えてくると、財源問題の本質はきわめてシンプルです。

財源とは、「あるか、ないか」の問題ではありません。
「作り出すか、作り出さないか」という選択の問題です。

そして少なくとも現代社会において、財源ーーつまり余剰ーーはすでにたっぷり存在しています。
それでもなお、BIの財源を見出せないとするなら、それは「足りないから」ではありません。

作り出す意思がないから。
ただそれだけのことなのです。

次回の記事では、この財源問題について、その解決策も含め、もう少し掘り下げてみたいと思います。

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