
経済の強化と変化ーーBIがもたらす第四の変化
ベーシックインカム(BI)がもたらすもうひとつの変化は、経済の強化とそれにともなう構造的な変化です。経済は日々の生活と直結しているため、この変化は比較的体感しやすいものになるでしょう。ここでは、主に次の六つの変化について見ていきます。
1.経済の活性化と安定化
BIの導入は、経済活性化をもたらします。理由は、BIが消費の拡大を促し、生産を刺激するからです。なぜBIが消費を拡大させるのでしょうか? それは、毎月一定額の収入が保障されることで、将来不安が緩和されるからです。将来不安が緩和されれば、多くの人はお金を貯蓄より消費に回すようになります。その結果、消費が増えます。そして消費、すなわち需要が増えれば、生産が刺激され、その結果、経済が活性化するーーという仕組みです。
また、BIは企業家精神を後押しする効果もあります。起業に関心を持つ人は多いものの、現実には失敗した場合の生活不安や破産リスクが大きな障壁となり、挑戦を断念してしまうケースが少なくありません。しかし、BIがあれば、たとえ事業に失敗しても生活が直ちに立ち行かなくなることはありません。その安心感が、起業への挑戦を促すことになるでしょう。
さらに、BIは景気の安定化にも寄与します。全国民に定期的に支給されるBIは、企業側から見れば、一定規模の消費需要が常に存在することを意味します。そのため生産計画が立てやすくなり、過剰生産や在庫調整にともなう廃棄コストも抑えられます。こうした効果によって、景気循環は過度な好不況の波を描くことなく、比較的安定した動きを見せるようになるでしょう。
加えて、BIには金融経済の過度な肥大化を抑え、実体経済を健全に保つ効果も期待できます。金融経済が膨張する背景には、将来不安に基づく過剰な貯蓄志向があります。しかし、BIによって生活が保障されれば、その不安は大幅に軽減されます。その結果、資金は金融市場に滞留するのではなく、消費を通じて実体経済へと流れ込みやすくなります。これにより、金融経済の暴走に歯止めがかかり、実体経済の安定的な成長が促されるでしょう。
2.生産性の向上
BIは、生産性の向上にも大きく寄与します。その理由は大きく三つあります。
第一に、適材適所が進むことです。一般に転職には大きなリスクがともないます。そのため、本来の能力や適性とは必ずしも合わないまま現在の職場に留まり続ける人が少なくありません。これが、生産性が伸び悩む一因となっています。しかし、BIが導入されれば、転職のリスクが軽減されるため雇用の流動性が高まります。その結果、多くの人が自分により適した職場へと移動することで生産性の向上が期待されます。
第二に、価値の源泉が筋力からアイデアへと移行する点です。工業化社会では、価値は主に肉体労働から生み出されてきました。しかし、知識と情報を基盤とするこれからの社会では、創造力や発想力こそが価値を生む源泉になります。とくにAIやロボットの進化によって、今後、肉体労働の価値は相対的に低下し、ユニークな視点やアイディアが新たな価値を生む時代が到来するでしょう。そして、それを可能にする上で欠かせない土壌を提供するのがBIです。ユニークな発想やアイデアは束縛のない自由な環境からしか生まれませんが、BIはまさにそうした自由な環境を整え、提供する制度だからです。
第三の理由は、無名のクリエイターや研究者の才能を引き出す環境が整備されることです。いまだ世に知られていないクリエイターや研究者の中には生活費を稼ぐため副業を余儀なくされている人が少なくありません。しかし、BIがあれば経済的不安から解放され、本業に全力を注げるようになります。そうして彼ら、彼女らの中から革新的な発明や新たな価値が生まれれば、結果として本人の生産性にとどまらず、社会全体の生産性向上ももたらされるでしょう。
3.企業形態の変化
BIの導入がもたらす変化としてもうひとつ注目されるのは企業形態の変化です。ポスト資本主義社会では、企業は現在のような永続的な組織ではなく、課題解決ごとに編成され、解散を前提としたプロジェクト型の組織へと移行していくと考えられます。
本来、企業の目的は課題解決にあります。課題が解決されたなら、組織を存続させ続ける必然性はありません。しかし現代社会では、企業に雇われることが生活の前提となっているため、企業の存続そのものが最優先事項になっています。さらに株主資本主義のもとでは、顧客の課題解決よりも、株主利益の最大化が優先されがちです。
その結果、企業は課題を完全に解決する動機を失い、むしろ問題を長引かせる方向にインセンティブが働くことがあります。計画的陳腐化や、課題を自ら生み出して解決を装うマッチポンプ型ビジネスは、その典型例です。
しかし、BIによって生活のための労働から解放されれば、企業は雇用を通じて人々の生活を支える役割を担う必要がなくなります。その結果、企業は純粋に課題解決のための組織として機能できるようになります。
また株主資本主義の弊害についても、BIの導入によってその影響を最小限に抑えることができます。なぜなら、すべての人に一定額のお金を分配するBIには、一部の富裕層に集中していた貨幣権力の民主化を促進し、その暴走に歯止めをかける働きがあるからです。
このようにポスト資本主義社会では、民間企業の多くは永続を前提とした固定的な組織ではなく、プロジェクトチームやワーキンググループのような、必要に応じてその都度生まれ、また消滅する流動的な組織へと変化していくでしょう。
ただし、食料や医療、介護など、課題が一過性ではなく永続的に続く領域も存在します。これらは社会が存続する上で不可欠かつ重要なインフラとなる領域であり、必ずしもプロジェクトチーム制が最適解であるとはかぎりません。こうしたインフラ的な領域にどう対応するかは別途、衆知を集めた議論が必要ですが、たとえば国営化するなり、公共的な仕組みを作るなりして民間の営利事業と切り離すのも一法でしょう。
4.マーケティングの変化
同様にマーケティングのあり方も変化すると考えられます。
従来のマーケティングは、しばしば「戦争」のアナロジーで語られてきました。市場は戦場、競合は敵、シェアは奪い取るものーー実際、マーケティングはこうした攻撃的な考え方をベースに理論が組み立てられています。
しかし、ポスト資本主義社会ではこうした発想は時代遅れになるでしょう。
代わって重要になるのは、エコロジー(生態学)的な視点です。エコロジーでは競争よりも共生が重視されます。同様に、これからのマーケティングでは、市場シェアを奪い合うのではなく、共通の課題解決に向けて企業同士が協力することが主流になると考えられます。
5.経済学の変化
変化を迫られるのは、企業やマーケティングだけではありません。経済学そのものも再定義を迫られます。
なぜ変革を迫られるのでしょうか?
従来の経済学は「欠乏」を前提としてきました。物資やサービスは限られており、その希少な資源をいかに効率的かつ公平に分配するかがその中心的な課題でした。
しかし、AIとBIの普及によって生産力が飛躍的に向上すれば、この前提は崩れます。資源制約のある一部を除けば、多くの財やサービスは理論上、ほぼ無限に生産可能になるからです。
この変化が意味するのは、「欠乏」を前提とした従来の経済学がその役割を終えるということです。根底にあった「希少性」という前提が消滅するからです。
しかし、だからといって経済学そのものが不要になるわけではありません。欠乏という問題が解消されれば、今度は「余剰」という新たな問題が立ち現れてくるからです。そして、この新たな問題に対処するには、それに適した新たな経済学が必要となります。
その新たな経済学とは何でしょうか? 従来の経済学を欠乏の経済学と呼ぶなら、それは余剰の経済学と呼ぶべきでしょう。
では、その余剰の経済学とは、具体的にどのようなものになるのでしょうか?
残念ながら、その輪郭を明確に示すことは、筆者の能力のおよぶところではありません。しかし、その方向性を示すヒントであればすでに存在します。
それは、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユの思想です。
バタイユは経済を、太陽エネルギーを源とする地球上のエネルギー循環として捉え、そこには常に余剰が生じると主張しました。彼によれば、真の問題は生産そのものではなく、余剰の処理、つまり「消費」と「蕩尽」にあります。そして、人間の喜びの本質も、生産や蓄積ではなく、消費や蕩尽にこそあると考えました。
この考え方に基づき、バタイユが提唱したのが「全般経済学」です。これは、生命エネルギーの循環という観点から消費と浪費の意義を再評価した上で、生産と蓄積のみを重視してきた従来の経済学に対して真っ向から挑戦状を叩きつけた革命的な理論でした。
仮に将来、「余剰の経済学」が生まれるとしたなら、それはおそらくこのバタイユの全般経済学を下敷きにしたものになるのではないでしょうか?
6.生産力の爆発
最後に、BIが直接もたらすものではありませんが、ポスト資本主義社会を論じる上で無視できない重要な変化を指摘しておきたいと思います。それは、AI・ロボットの普及による生産力の爆発的伸張です。
AI・ロボットは知能と機械的動作の両面で急速に進化しており、近い将来、人間の能力を凌駕することが確実視されています。しかも将来、ロボット自身がロボットを製造・修繕することも可能になるといわれており、その段階に至れば、資源制約という限界はあるにせよ社会全体の生産力は指数関数的な上昇カーブを描いてーーつまり爆発的な勢いで伸張すると予測されています。
その結果、多くの商品やサービスの価格は劇的に低下し、場合によっては無料化する可能性も出てきます。なぜなら、商品の価値は希少性から生まれますが、供給力の飛躍的増大によってその希少性が失われるからです。すでに音楽や映像、文章といった情報財は、AIの導入によってほぼ無限の複製・供給が可能となっており、希少性が失われつつありますが、この傾向はやがて通常の物質財にまでおよぶでしょう。そうなれば衣食住に関わる製品コストは極限まで下がり、普通の生活を営むだけであれば貨幣をほとんど必要としない社会になる可能性もあります。
さらにAI・ロボットが個人所有されるようになれば、自給自足的な生活様式が新たに普及するかもしれません。家庭にロボットが常駐し、食料生産、家事、住居の維持、衣服の製作、さらには教育や介護までを担えば、人々は市場に依存せず生きていけます。これはかつての農業労働に依存した自給自足とは根本的に異なる、技術進化を前提とした新しい時代の新しい形の自給自足です。
この延長線上で、もうひとつ注目すべき変化が予想されます。それは新たなエコシステムとしての「メタネイチャー」の誕生です。現在の経済は、人間が労働で生産した財を貨幣を介して交換し、人間が消費する仕組みとなっています。しかしAI・ロボットが普及すれば、自動生産・自動サービスが常態化し、人間の労働は不要になります。それがさらに進化すれば、市場や貨幣とは切り離された形で自律的に回り続ける、AIロボットをベースとした新たなエコシステムが誕生する可能性があります。
たとえば、ひとつの家庭ごとに複数台のAI・ロボットが配置される世界を想像してみましょう。そこでは、衣類や家具、食料といった生活に必要な品々は、担当のロボットが常に過不足のないよう自動的に補充してくれます。さらに驚くのは、庭先にあるリンゴや梨の木に混じって、スマートフォンやハンバーガーを「実らせる」人工的な樹木が並んでいることです。もちろん、それらは小型の製造工場を兼ねた樹木型ロボットです。私たちは必要に応じてそれらを「もぎとれば」よいのです。
ここに描かれているのは、地球生態系としての自然がAI・ロボットによって上書きされた結果、生み出された新たな自然、いわゆる「メタネイチャー」の姿です。
もっとも、この段階にまで至れば、それはもはや生産性の上昇といった言葉でくくれるような単純な変化ではありません。そこにあるのは、経済が社会の一部として存在する世界ではなく、自然の一部として完全に溶け込んだまったく新しい世界です。そして、それは身の周りの自然から必要なものを得るだけで生活が成り立つ新たな狩猟採集社会の到来でもあります。
こうした生産力における劇的な変化は、BIの議論と切り離すことはできません。なぜなら、BIが貨幣権力を民主化することで人々を過剰な競争から解放する一方で、AI・ロボットが生活必需品をほぼ無限に供給する、という二つのベクトルが重なり合ってはじめて、欠乏と競争を前提とする資本主義の論理は力を失っていくからです。したがって、このAI・ロボットによる生産力の爆発的伸張は、これからのポスト資本主義社会を考える上で、BIがもたらす変化と並んで目を離せない重要な変化といえるでしょう。
