国民皆労働制からの解放ーーBIがもたらす第一の「表層的変化」

ここまで、ベーシックインカム(BI)導入によって生じる「深層的な変化」について見てきました。ここからは「表層的な変化」に目を向けてみたいと思います。

表層的な変化とは、社会構造の深い部分での変化とは異なり、日常生活の中で目に見えやすく、比較的体感しやすい変化のことです。ここではその中から、

  • 国民皆労働制からの解放
  • 価値観の変化と多様化
  • 贈与経済圏の強化
  • 経済の強化と変化
  • 社会問題の解決

という五つの変化を取り上げてみます。

国民皆労働制からの解放

今回はそのうち一番目の「国民皆労働制からの解放」について検討してみましょう。

国民皆労働制というのは、前にも考察したようにお金を得る手段が原則として労働以外になく、誰もが半強制的に労働に従事しなければならない現行の社会制度のことです。

しかし、BIが導入されると人々はこの国民皆労働制から解放されることになります。生活費が保障される以上、やりたくない仕事を我慢して続ける必要がなくなるからです。そして、その結果、次のような変化が生じます。

1.自分の人生を生きられる

これまではやりたいことがあっても、お金を稼ぐための労働が最優先とされ、やりたいことは後回しにされるのが普通でした。それどころか、本当にやりたいことは「わがまま」とされ、諦めることを強要されることも少なくありませんでした。

しかし、国民皆労働制から解放された社会では、その優先順位が逆転します。お金や労働よりも、まず自分のやりたいことを追求することが尊重されるようになり、むしろ周囲からもそれが推奨される社会になるでしょう。

2.内需拡大による経済成長

次に起こる変化が、内需拡大とそれによる経済成長です。これは次のような因果関係によるものです。

たとえば、国民皆労働制から解放された結果、会社を辞めて釣りに没頭する人が増えたとしましょう。その場合、釣具や関連サービスへの需要が増えます。そして需要が生まれれば、そこに新たなビジネスが生まれ、雇用や投資が派生することになります。

これは釣りに限った話ではありません。映画、アニメ、漫画、音楽、旅行、学び直しなど、さまざまな分野で同じことが起こります。そうして、消費の質が変わり、内需が押し上げられ、関連産業が活性化していくという流れが生じます。結果として経済全体の成長がもたらされることになるでしょう。

3.労働者の立場が強くなる

国民皆労働制が廃止されても、すべての人が働かなくなるわけではありません。それはたんに働きたくない人に「働かない」という選択肢を与えるものにすぎず、働きたい人はもちろんこれまで通り働き続けることができます。

しかし、決定的に変わるのは、労働者が「嫌なら辞める」という選択肢を持つことです。これは、雇用主と労働者の力関係を大きく変え、労使交渉の場において、労働者を有利な立場に立たせることになります。結果として雇用主側は、労働者を確保するため、賃金をはじめとする待遇の改善を迫られることになるでしょう。さらにこのような労働者有利の条件下では、劣悪な労働環境を強いるブラック企業は労働者をつなぎ止められず、早晩淘汰されることはいうまでもありません。

労働はなくなるか?

ここまで「国民皆労働制からの解放」というテーマについて検討してきました。しかし、ここで私たちはより根本的な問いに向き合う必要があります。

それは、AIやロボットの進化によって、将来、人間労働がなくなるのか、という問いです。

この問いを考える上では、まず労働の定義を明確にする必要があります。労働の定義については以前の記事でも検討しましたが、再度確認しておきましょう。

まず、労働というのは、市場的な取引の下で行われる活動を指します。代表的なのは、労働者が行う賃労働です。企業家や投資家が収益を求めて行う活動もこれに含まれます。つまり、ここではお金を得ることを目的に行われる作業全般を「労働」と定義します。

一方で「仕事」とは、それ以外の人間活動全般を指します。これには、ケア労働やボランティアなどの他者に対するサービスだけでなく、身支度をする、食事をする、排泄するなど、自分自身に対するケアも含まれます。さらに、悩んだり、病気に苦しんだりすることもここでは「仕事」とみなします。つまり、生きることそのものが「仕事」であるという捉え方です。

労働はほぼなくなる

さて、その上であらためて未来の労働がどうなるかを考えてみましょう。結論からいえば、雇用も含め、労働はほぼなくなると考えられます。理由は、AI・ロボットの進歩により、現在の形の労働はほぼ完全に駆逐される可能性がきわめて高いからです。

たとえば、製造・運輸・事務といった反復型の「労働」の多くは、まもなくAI・ロボットに取って代わられるでしょう。対人サービスについても、今すぐとはいかないまでも、そう遠くない将来、AI・ロボットが担うことになるはずです。

もちろん、技術の進歩が新たな労働を生むことも予想されますが、それもまたすぐにAIやロボットに取って代わられるため、結果は同じです。またロボットのメンテナンスも将来はロボット自身が担うことになると予想されています。つまりどう転んでも、もはや人の出る幕はないということです。

このあたりは、以前取り上げた記事「AIの衝撃――資本主義の行き詰まりを加速するもうひとつの理由」でも考察した通りです。したがって、現在のような労働という形態は最終的にほぼ消滅すると考えられます。

仕事は増える

では、「仕事」はどうでしょうか? こちらはおそらく、なくならないでしょう。それどころか、むしろ増える可能性すらあります。なぜなら「仕事」というのは、先に定義したように、生きることそのものだからです。そして、労働から解放され、生きることが豊かになれば、それだけ「仕事」も増えるのが道理というものです。

これまでは、生活のための労働が優先され、自分自身を生きることが後回しにされてきました。しかし、労働から解放されるポスト資本主義社会では、これが一変します。本来やりたかったものの、これまで抑圧されてきた願望や欲求が、その陰に隠れていた才能とともに一気に表面化してくるでしょう。

そうなれば、その願望や欲求を叶えるための「仕事」に取り組む人が増えるのは当然です。もちろん、それがどんなものかは人によって様々です。それは研究や芸術活動かもしれませんし、地域活動やボランティア活動かもしれません。はたまた日々の生活の細部にこだわる「丁寧な暮らし」の実践かもしれませんし、瞑想や哲学的思索を通して人生の悩みや自己と向き合う作業かもしれません。

このように、自分の人生を生きることの重要性が見直されるようになれば、それに比例して「仕事」も増えるのは当然の帰結です。けれど、そうして増えていった「仕事」はもはや生きることとほとんど区別ができなくなるでしょう。つまり、そこにあるのは生きることイコール仕事という人間本来の姿への回帰です。

もちろん、こうした「仕事」が一定のボリュームをもつ需要として出てくれば、それが「労働」として、市場的取引の対象になる可能性はあります。しかし、これも以前の記事ですでに考察したことですが、それが安定的かつ継続的な報酬が得られる「労働」として成立する可能性はほとんどありません。したがって、「仕事」は「仕事」のまま、市場的な「労働」とは一線を画した形で独自の進化を遂げるものと考えられます。つまり、そうした「仕事」は市場経済と切り離されたまま、あくまでも贈与経済圏における私的な活動としてのみ存在し続ける、ということです。

こうしてみると、AIおよびBIの上に成立するポスト資本主義社会では、金銭欲求によって動機付けられる「労働」はほぼなくなる一方で、承認欲求や自己実現欲求などのより上位の欲求や願望に基づく「仕事」は無限大に増える可能性があります。したがって、将来、労働がなくなるとすることがなくなり生きる意味を失うなどと心配する必要はまったくありません。それどころか、「人生」そのものと直結した「仕事」に正面から向き合うことで、本来の人間としての生き方がはじめて可能になる時代がようやく現実になるというべきでしょう。

広告


もう書けないとは言わせない!
三行から組み立てる超ロジカル文章術