
なぜ市場の完全排除ではなく、埋め戻しなのか?
これまで私は、市場経済をさんざん批判し、贈与経済を持ち上げてきました。
これに対して、こんな疑問を持たれる方もいるのではないでしょうか。
「それならいっそのこと、市場経済なんて完全に排除して、贈与経済一本槍にしてしまえばいいのでは?」 「なぜ『埋め戻し』などという中途半端なことを主張するのか?」と。
確かに私の主張は一見すると矛盾しているように思えるかもしれません。しかし、そこには明確な理由があります。
それは、贈与経済にも短所があり、それを補うには市場経済が不可欠だからです。
そこで今回は、私がなぜ「市場の完全排除ではなく埋め戻しを主張するのか」、その理由について説明したいと思います。
「ウエットなつながり」が「牢獄」になるとき
まず、贈与経済の短所について見てみましょう。贈与経済には人と人との関係性を強化するという長所がある一方で、いくつかの深刻な欠点があります。
なかでも最大の欠点は、贈与経済は強くなりすぎると「村社会化」を促す傾向があることです。村社会化というのは、関係性が生むしがらみに縛られた結果、個人の自由よりも共同体の意志が優先されることです。
そこでは、「出る杭は打たれる」という言葉が示すように、いわゆる同調圧力が生まれ、その結果、個人の意思や自由が著しく制限されてしまうことになります。
「田舎の人間関係が息苦しくて都会に出てきた」という話があるように、関係性が濃すぎる社会は、時に個人の自由を圧殺してしまうのです。
さらに、もうひとつ見過ごせない問題があります。贈与が時として賄賂の性格を帯びることです。贈与経済が強い社会では、必然的に人間関係や縁故が重視されますが、その際、贈与が相手を籠絡するための手段として使われることが少なくありません。典型的なのが、途上国でよく問題になる縁故資本主義(クローニー・キャピタリズム)です。これは、伝統的な贈与経済圏の悪影響を完全に払拭しないまま中途半端な形で市場経済を導入したことが原因とされています。
「ドライな市場」が保障する「自由」
一方で、市場経済には明確な利点があります。なかでも最大の利点は、自由と公平を担保する機能があることです。市場には匿名性があり、取引相手との個人的な関係性は基本的に不要です。
たとえば私たちは、コンビニでお茶やおにぎりを買う時、店員さんと親友である必要はありませんし、地元以外に住んでいても何も問題はありません。もちろん思想信条も問われません。貨幣さえ持っていれば、誰であろうと公平に「客」として扱われるのです。
こうした自由で公平な性格をもつ市場は、歴史的に見ても重要な役割を果たしてきました。たとえばユダヤ人の歴史は、この点で示唆に富みます。各地で幾度も迫害された彼らがそれでも経済的な成功を収められたのは、市場経済ーーとりわけ貨幣経済の枠組みを利用し、共同体のしがらみに縛られない自由な金融&商業ネットワークを構築できたからです。自由な市場を介した取引が、地域社会の閉鎖性や偏見からの解放をもたらしたのです。
市場が持つ「ドライさ」ーー、それこそが、私たちを村社会の「ドロドロした縛り」から守る盾になってくれるのです。
「埋め戻し」という最適解
このように、市場経済と贈与経済はどちらか一方だけでは社会をいびつにしてしまいます。贈与経済が持つ互助や連帯の機能はたしかに重要ですが、それだけでは社会が硬直化し、自由や多様性が失われる危険性があります。一方、市場経済一辺倒の社会では、自由が増える反面、人間関係の希薄化や貧富の拡大が進み、さらにはあらゆるものが商品化される殺伐とした世界になってしまいます。
では、このような贈与経済がはらむ欠点はどう補えばよいのでしょうか。じつはこれはそう難しいことではありません。市場経済とのバランスを取れば良いだけの話です。
市場経済という自由が担保される領域があれば、贈与経済がもつ閉鎖性を回避し、個人や集団がより柔軟に活動できる環境が生まれます。その一方で、贈与経済という防御壁があれば、市場経済の肥大化にも一定の歯止めがかかり、社会機能の弱体化を防ぐことができます。このように両者の力が拮抗すれば、互いにそのデメリットを打ち消し合うと同時に、そのメリットも享受できるようになります。
イメージとしては、「贈与経済という土台(セーフティネット)」の上に、「市場経済という広場(自由な挑戦の場)」を作るようなものです。
そもそも市場経済と贈与経済は対立するものではありません。それどころか両者は、むしろ補完関係にあります。そのことは、市場経済が贈与経済なしに存在しえないことからもわかるはずです。
もちろん実際にはそう簡単にいかない部分もあるのは承知の上であえて言わせてもらえば、社会を健全に保ちつつ、同時に資本主義経済がもたらす果実を得るには、両者をバランスよく配置し、互いに拮抗させればとりあえずは事足ります。つまり、市場経済を贈与経済圏の中に適切に「埋め込む」ことさえできれば、制御の難しい資本主義経済下においても豊かさの享受と社会の安定性の両立は十分可能だということです。
これが、市場の完全排除ではなく埋め戻しを、私が訴える理由です。
