
社会は「基礎研究の場」──未来を創る「無償の言葉」とBIの意義
SNSを眺めていると、ふとしたコメントや記事が、新しいアイデアの種になることがあります。誰かが何気なく書いた一言が、自分の思考を押し広げてくれる。そんな経験を持つ人は少なくないのではないでしょうか。私自身も、しばしばそうした言葉に触発され、新たな視点を得ています。
本来であれば、他人のアイデアや示唆を受け取ったとき、そこには何らかの対価が発生してもおかしくありません。しかし現実には、SNSで共有される言葉の多くは無償で手に入ります。見返りを求めない発信と、それを受け取る私たちーー。この無償の営みを見ていると、社会そのものが、壮大な「基礎研究の場」であるように思えてなりません。
すぐに利益を生むわけではないけれど、未来の可能性を秘めた試行錯誤や思索。これは、まるで大学の基礎研究のようなものです。こうした「知の厚み」こそが、社会の本当の豊かさであり、強靭さの源泉なのではないでしょうか。
しかし、ここにはひとつ大きな問題があります。こうした社会の基礎研究を担う人たち──深く考え、試し、観察し、発信し続ける人たち──に対して、経済的なリターンがほとんどないという点です。実際、社会にとって不可欠なこうした知的営為の多くは、個人の善意や犠牲の上に成り立っているのが現実です。
だからこそ、私はベーシックインカム(BI)の導入を訴えたいのです。 BIは単なる救済策ではありません。それは、人々が報酬を気にせず、思索や探求、創作に没頭できる「時間」と「余白」を提供するための社会全体としての投資でもあるのです。
これは、科学的知識が原則として無償で公開される現在の仕組みとも響き合います。もしそれらが知的所有権を盾に一部の人が独占するものとなったら、どうなるでしょうか。現在の科学技術の進歩は途端に停滞し、私たちがそこから恩恵を受ける経済成長もまた遅々として進まなくなってしまうでしょう。
SNSで生まれる無数の「ただのひと言」が、じつは社会の知的基盤を支えている──この視点に立てば、BIが単なる経済政策ではなく、社会のダイナミズムを支える不可欠なインフラであることがより鮮明に見えてくるのではないでしょうか。
