
日本が貧しくなったのは「基礎研究」と「贈与経済」が痩せ細ったから
──日本が見落としてきた経済の土台とは?
「市場経済を応用研究とするなら、贈与経済は基礎研究である」
この比喩は、現代日本の停滞を読み解くうえで非常に重要な示唆を与えてくれます。
応用研究がどれほど優秀でも、基礎研究が痩せていれば革新的な研究は生まれません。これは科学研究の世界では常識です。しかし、社会の仕組みについて語るとき、どういうわけか、この単純な原理はほとんどの場合、見落とされています。
■ 市場経済は「応用研究」である
市場経済とは、社会が蓄えてきた知識や文化、信頼、倫理、関係性などを“利用して”成果を生み出す仕組みです。
つまり、すでにある土台の上で成果を出す「応用」の領域です。
企業のイノベーション、効率化、収益最大化――どれも基礎となる社会的な土台なしには成立しません。
- 健康で教育された人々
- 相互に信頼できるコミュニティ
- 文化的に共有された前提
- 未来への安心感
- 家族や地域による無償の支え
こうしたものが欠ければ、どれだけ市場を刺激しても成果は伸びません。
■ 贈与経済は「基礎研究」である
一方、贈与経済とは、お金を介さない形で社会が自分自身を再生産する営みです。
- 子育て
- 介護
- 友人への支え合い
- 地域活動
- 無償の学びや探求
- 文化の継承
これらは直接的なお金を生みません。しかし、これらがなければ応用的な市場経済は立ちゆきません。
その意味で、贈与経済はまさに“基礎研究”そのものです。
しかし、成果がすぐに見えないから削られやすい。
でも、削れば確実に未来の成長が縮む。
基礎研究を軽視して衰退した国の例には事欠きませんが、現在の日本はまさに「社会の基礎研究」を削ってしまっている状態です。
■ 日本はなぜジリ貧になったのか
大学の基礎研究費が削られ続けていることはよく知られています。
しかし、より深刻なのは、社会の基礎研究ともいえる“贈与経済”までも縮小してしまったことです。
- 共働きで子育ての余力がない
- 老後の不安で地域活動へ関われない
- 教育や文化活動への無償の投資が難しい
- そもそも人々がお金と時間の余裕を失っている
これでは、贈与経済の循環が弱くなるのは当然です。
そして基礎が弱れば、応用である市場経済がジリ貧になるのも当然です。
「日本経済は努力が足りない」のではありません。
「基礎が痩せすぎている」のです。
■ “基礎”を立て直さずに成長はない
社会の土台を再び豊かにしなければ、市場経済の競争力も、イノベーションも取り戻せません。
必要なのは、市場とは別の回路を太らせることです。
つまり、贈与経済圏を再生し、社会の基礎研究力を取り戻すこと。
- 安心して子育て・介護ができる環境
- 無償で学び、探究し、創作する余地
- 生活にゆとりをもたらすセーフティネット
- 地域の関係性を再構築する仕組み
- お金にならない営みを社会が尊重する文化
こうした「基礎研究」を支える政策のひとつが、ベーシックインカムのような普遍的給付です。
人々の生活の土台に余白を取り戻せば、贈与経済が息を吹き返し、そこから市場経済も再び力を得るのです。
■ おわりに
科学研究の世界で当たり前のことが、社会経済の議論ではしばしば忘れられます。
- 基礎研究を削れば、応用研究は枯れる
- 贈与経済を削れば、市場経済は痩せる
これは避けようのない構造です。
日本が今本当に必要としているのは、経済の“基礎体力”の回復です。
贈与経済という社会の基礎研究を、再び大切にする視点を取り戻すことが、その第一歩になるのではないでしょうか。
