
グレートマザーと資本主義ーー貨幣権力を生む心理的メカニズム
貨幣権力そのものを正面から弱める方法
ここまで、貨幣権力を弱める手段として、相対的に低下させる方法に加え、絶対的に低下させる方法について考察してきました。ただし前段で考察したのは絶対的に低下させる方法といっても、まだいくぶん間接的といえる方法でした。これに対して、より「直接的」な方法も考えられます。
それは一体どのような方法なのでしょうか? これを考える上で参考になるのが、ベルギー生まれの経済学者ベルナルド・リエターの論考です。
リエターはその著書、『マネー なぜ人はおカネに魅入られるのか』の中で、貨幣が人間心理におよぼす作用をユングの元型心理学を用いて説明しています。それによれば、人間の無意識には「グレートマザー」と呼ばれる、豊穣と供給力を象徴する元型(アーキタイプ)があり、それが貨幣をめぐる人間心理に強く影響しています。
また、これはグレートマザーにかぎらず、すべての元型にあてはまるのですが、そこには必ずそれと対極をなす「影(シャドウ)」が付随しています。グレートマザーの場合、その影は「欠乏(への恐怖)」と「貪欲」です。そして、これまたすべての元型にあてはまることですが、元型のエネルギーが抑圧されると、その影が表面化し、場合によっては制御を失い、暴走を始めることがあります。グレートマザーにあてはめていえば、影である「欠乏」と「貪欲」が表に顕れ、時に暴走する可能性があるということです。

ここで重要なのは、貨幣権力ーー※正確にいえば、それを求める貨殖欲求ーーはそれらふたつの影から生まれることです。リエターの理論を私なりに解釈すれば、そこには「欠乏への恐怖が貪欲を呼び寄せ、貪欲が富への渇望、すなわち貨殖欲求を生む」という一連のプロセスが存在します。これが、グレートマザーが抑圧されることで貨殖欲求(貨幣権力)が生まれるメカニズムです。
※ここでは貨幣権力と貨殖欲求はほぼ同じ意味とみなせるので、以下、論理をシンプルにして、わかりやすくするため、貨幣権力を貨殖欲求に置き換えて議論を進めます。
さらに、リエターは近代資本主義は、グレートマザーの抑圧の上に成立していると指摘しています。彼はそれを女性原理への抑圧ととらえ、そのことを証明するため、他の元型に関する考察はもちろん、西洋におけるキリスト教の影響をはじめ、ギリシャ神話、古代エジプトを含む人類史の古層にまで遡るスケールの大きな論考を展開しています。しかし、それを簡潔に整理してわかりやすく示すのは正直、私の手に余りますし、そこまで踏み込むと話が複雑になりすぎます。したがって、ここでは、リエターの指摘通り、資本主義システムがグレートマザーの抑圧の上に成立しているという前提で話を進めたいと思います。
貨殖欲求を低下させるには?
以上の議論を踏まえた上で最初の問いに戻りましょう。貨殖欲求(貨幣権力)を絶対的かつ直接的に低下させるにはどうすればよいのでしょうか?
リエターの考え方に従うなら、答えはもはや明らかです。そう、「欠乏への恐怖」を取り除くことです。先に見たように貨殖欲求を生むのは「貪欲」であり、「貪欲」を生むのは「欠乏への恐怖」だからです。
そして、「欠乏への恐怖」を取り除くには、その元型であるグレートマザーへの抑圧を外し、そのエネルギーを解放する必要があります。これも先に見たように、「欠乏」や「貪欲」といった影が現れるのは、グレートマザーが抑圧された結果であり、グレートマザーが解放されれば、その影である「欠乏」と「貪欲」はともに力を失うことになるからです。
では、どうすればグレートマザーのエネルギーを解放できるのでしょうか? リエターによれば、そのためには男性原理を抑え、女性原理を復活させることが必要だといいます。その具体的な方法として彼は、地域通貨などの法定通貨に対抗するーー正確には補完するーー新しい貨幣の創出を提案しています。
けれど、実際、地域通貨運動に関わり、その挫折を経験した者の一人としていわせてもらえば、それも悪くありませんが、もっと効果的でより確実な方法があります。それは、お金を配ることです。つまりベーシックインカムの導入です。
しかし、なぜBIの導入がグレートマザーの解放につながるのでしょうか?
それに答える前にまずはグレートマザーが抑圧されているとはどういう状態なのかを確認しておきましょう。なお、ここで展開するのは、リエターの理論そのものではなく、それをもとにした私オリジナルの考えであることをお断りしておきます。
さて、資本主義は歴史的に前例のない供給力を生み出し、人類に物質的な豊かさをもたらしました。その点に注目すれば、資本主義自体がグレートマザーの顕現であるという見方もできますし、実際その見方には大いにうなづけます。けれど、今の資本主義の仕組みの下では、それがもたらす豊かさが一部の富裕層にのみ流れ、社会全体に還元されにくいという偏った構造になっていることも忘れてなりません。
そのことを端的に示すのが貧困の存在です。資本主義はその構造上、必然的に貧困を生み出すと同時に貧困ーーすなわち欠乏ーーがなければ十分に機能しないという側面があります。また、そこでは、原理上、常にお金が不足するようになっています(貨幣の新規発行には必ず利子が発生する信用創造の仕組みを思い出してください)。しかもそのお金自体、互いに仲間を呼び寄せるように一部に偏って集まる傾向があり、そのため格差が開きやすい構造になっています。これらは、資本主義がもたらす供給力とその豊かさがいびつな形で抑圧されていることをあらわしています。
この「いびつな形での抑圧」の存在ーーこれこそが、「グレートマザーが抑圧されている」ことを示す何よりの証拠です。そして、そのいびつな状態こそが、ここでいう「グレートマザーが抑圧されている状態」にほかなりません。
では、なぜそのような「いびつな社会」が生まれたのでしょうか? それは「分配」が十分機能しないからです。経済は生産・消費・分配の三つの側面から成り立ちますが、資本主義の下では歴史的に、生産と消費ばかりが重視され、その一方で分配は軽視され、後回しにされてきました。豊かさが社会全体に行き渡らず、いつまでたっても貧困が解消されないのもその必然的な結果です。したがって、グレートマザーへの抑圧とは、つまるところ分配の機能不全にほかならないといえるでしょう。
しかし、そうであるなら、分配の機能不全を正せばグレートマザーを抑圧から解放することができるということになります。実際、その通りです。そこで登場するのがBIです。
BIは、生産とは無関係に全国民に一律にお金を支給する制度です。この一律にお金を支給するという行為は、分配そのものにほかなりません。すなわちBIを導入することは、新たな分配ルートを追加することであり、それは、今の経済システムにおける分配の機能不全を正し、強化することを意味します。そして、分配が強化されることは、今見たようにグレートマザーがその抑圧から解放されることでもあります。したがって、分配を強化するBIを導入することは、その必然的な帰結としてグレートマザーの解放をもたらすことになりますーー。これがBIが、グレートマザーをその抑圧から解放するメカニズムです。
またグレートマザーが解放されれば、その影である「欠乏への恐怖」は必然的に力を失います。そして、「欠乏の恐怖」が力を失えば、同時にその双子の姉妹である「貪欲」も力を失います。その結果、そこから生まれた貨殖欲求が力を減退させ、後景に退くのもまた必然的な帰結といえます。これがBIの導入がグレートマザーの解放を通して貨殖欲求を低下させる仕組みです。
ところで、先に確認したように、ここでは貨殖欲求の低下は貨幣権力の低下とほぼ同じ意味です。したがって、上の結論はこう言い直すことができます。「これがBIの導入がグレートマザーの解放を通して”貨幣権力”を低下させる仕組みである」と。
ーー以上が貨幣権力そのものを絶対的かつ直接的に弱める方法です。
グレートマザーの再臨としてのAI
最後に付言しておきたいことがあります。それは、グレートマザーを解放する役割は、BIに限らず、AI(人工知能)も担う可能性があるということです。
現在、AIおよびロボット技術は急速に進化を続けており、近い将来、それによって生産性が飛躍的に向上すると予測されています。この生産力の爆発的な拡大をグレートマザーの解放ととらえるならば、AI・ロボットの発展は、まさにグレートマザーが復活するプロセスの一環と見ることができます。そしてそうであれば、AI・ロボットの発展は、グレートマザーの再臨を促すとともに人類社会に未曾有の豊かさをもたらす可能性を秘めているといえるでしょう。
しかしながら、すでに指摘したように、現行の資本主義システムは、分配機能に重大な欠陥を抱えています。この欠陥が解消されないままでは、その豊かな生産力も偏った形でしか実現されない可能性があります。しかも、その場合、これまでそうであったように格差の拡大や贈与経済の衰退といった資本主義に内在する矛盾が一層深刻化し、社会の行き詰まりを加速させた末に全面的な破滅にいたることも予想されます。
このような事態を回避し、より望ましい社会へと移行するためには、やはりBIのような、分配を制度的に保証する仕組みをあらかじめ構築しておくことが必要かつ不可欠なのではないでしょうか。
