「免罪符」としてのマネー 「念仏札」としてのベーシックインカム

この記事は、前に書いた「ベーシックインカムと念仏札──交換を超える社会へのヒント』をもとに改めて書き起こしたものです。

ベーシックインカム(BI)は、一般に「すべての人に無条件で一定額のお金を給付する制度」と捉えられています。つまり、ある種の福祉政策のひとつという見方です。

しかし、その背景にある考え方を深く探っていくと、それはたんなる貧困対策や経済制度の枠組みを超えて、社会、いや、私たちの文明のあり方そのものに根本的な変革を迫る「哲学的な問い」へと行き着きます。

そのことを理解する手がかりとして、ここでは中世ヨーロッパの「免罪符」と、鎌倉時代の「念仏札」という二つの対照的な宗教制度を比較してみたいと思います。

一見無関係に思えるこの二つの歴史を並べることで、お金と労働、そしてBIが一本の線でつながり、同時にそれらの本質が浮かび上がってきます。

免罪符――救済を「お金で買う」仕組み

中世カトリック教会で販売された「免罪符」は、「お金」という対価を支払うことで、罪が赦され、煉獄の苦しみが軽減されるという制度でした。

そこにあるのは、「神による救済もまた金次第」という、金銭至上主義的な考え方です。

これに対して真っ向から反対し、立ち上がったのがルターやカルヴァンなどの宗教改革者たちでした。彼らは、「神の救いはお金で買えるものではない」として免罪符を批判し、代わりにこう説きました。

「救いは、ただ誠実な信仰と勤労によってのみ得られる」と。

社会学者のマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で明らかにしたように、この「勤労による救い」の思想は、やがて近代資本主義の精神へとつながっていきます。

しかし、ここで重要なのは、

宗教改革は、救いをお金と交換する仕組み(免罪符)を批判したものの、「交換」そのものを批判したわけではなかった

という点です。

つまり、彼らは、救いの対価をたんに「お金」から「勤労」へと置き換えただけであり、その根底には依然として、「救いには何らかの対価が必要だ」という交換原理が残り続けたのです。

もしかしたら、私たちはそこに人間存在を「神との契約」という交換原理をもとに位置付ける一神教的文明の限界を見ることができるのかもしれません。

念仏札――救済は「無条件の贈与」

一方、本邦には免罪符と似た、しかし根本においてまったく異なる原理をもつ宗教的実践の歴史があります。

時宗をひらいた一遍上人が配った「念仏札」です。

念仏札は、仏の救いを約束した証文のようなものです。それを受け取った人は来世で極楽浄土への往生を約束されるのです。

この札が画期的だったのは、以下の点にあります。

●受け取るだけで極楽往生が約束される

●見返りは一切求められない

●布施も、厳しい修行も必要ない(他力本願)

●貧富や身分を問わず誰にでも与えられる

ここには、「何か特別なことをしたから、その対価として救いが得られる」という交換の論理はありません。そこにあるのは、ただあるがままで救済に値するという、存在自体に対する絶対的な承認でした。

つまり、念仏札の本質は、免罪符とは正反対であり、対価を伴う交換による救いではなく、対価を伴わない無条件の救いーすなわち贈与にあったのです。

贈与原理に基づくこの念仏札は、救われるにはそれに見合う対価が必要という交換原理に基づく免罪符とは全く別の思想的空間を切り拓きました。

現代のお金は、現代版「免罪符」である

さて、歴史におけるこの二つの救済の形を鏡とすると、現代のお金の正体が新たな光をもってくっきりと映し出されてきます。

お金は、交換原理を極限まで形式化・普遍化した道具です。そして現代において、私たちが日々追い求める「救い」――衣食住をまかなう商品やサービス、さらには社会的成功――のほとんどは、このお金という「対価」を支払うことで得られます。

これは何を意味するのでしょうか? ここにはある種の先祖返りがあります。

たしかに宗教改革は、救済の対価を「お金」から「勤労」へと移行させました。しかし、来世における救いより、物質的豊かさや社会的成功という現世における「救い」が前面に出てきた現代社会では、勤労を象徴するものとしてのお金の力が肥大化したこともあって、救済の対価として再び「お金」が表舞台に浮上するようになったのです。

これは、現代では、お金が再び「免罪符」として機能していることを意味します。つまり、私たちは、豊かさという「現世における救い」を金銭で購入するという新たな免罪符の時代を生きているのです。

またこれは宗教改革によって否定された「煉獄」がその居場所を失った結果、現世にその「住所」を移したと見ることもできます。つまり、今私たちがその中で生きている現世は、かつての煉獄が形を変えて再現されたものにすぎないのかもしれません。

BIは現代の「念仏札」

では、ベーシックインカム(BI)は、歴史的に見て、どう位置づけられるのでしょうか。

BIが体現しているのは、「必要なものは誰もが無条件で与えられる」という理念です。そこにあるのは、対価を求めない贈与原理です。したがってBIは一切の条件を拒否します。

働けるかどうか

稼げるかどうか

社会的に価値があるかどうか

そういった「受け取る資格」は一切問いません。BIはすべての人を前にして、こう言います。

「あなたは受け取ってよい存在である」と。

これはまさに、一遍上人の念仏札の思想と響き合うものです。

念仏札が「あなたはすでに救われている」と告げたように、BIは「あなたは無条件に生きてよい(受け取ってよい)」と告げるものです。つまり、BIは現代における念仏札なのです。

こうしてみるとわかるように、BIの議論は、経済的な効率や財源の問題にとどまるものではありません。それは、そうした現実的な問いを超えて

「人間の価値は、労働やお金による交換で測られるべきか、それとも無条件の贈与として認められるべきか」

という、文明論的かつ哲学的な問いを私たちの目の前に鋭く突きつけているのです。

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