貨幣改革の系譜──四人の先駆者が見据えた「お金の未来」

ここまで、貨幣権力がどのように社会を歪めてきたか、また、その力をどのように制御すればよいのかについて考察してきました。ところで、歴史を振り返ると、そこには同じような問題意識を持ち、貨幣改革に取り組んできた先人たちがいます。今回は、そうした先駆者の中から、とくに重要と思われる四人に焦点を当て、彼らの思想と足跡を辿ってみましょう。

1. ピエール・J・プルードン ――「貨幣の王権」への反逆

ピエール・ジョゼフ・プルードンは、19世紀のフランスで活躍した思想家であり、社会活動家です。「財産、それは窃盗である」という衝撃的な言葉を残し、アナキズム(無政府主義)の先駆者としても知られる彼は、国家権力とともに「貨幣権力」を徹底的に批判しました。

なかでも問題視したのは、経済的取引において貨幣が商品に対し常に優位な立場にあることです。この優位性ーー現代経済学的に言えば「流動性(交換のしやすさ)の高さ」ーーが原因で、貨幣は投機の対象となり、もはや流通を助ける手段ではなく、むしろ障害にさえなっていると彼は考えました。

さらに彼は、この貨幣の優位性を決定的なものにしている要因として「利子」にも注目しました。利子というシステムは、借り手(労働者や生産者)にとって重い負担となる一方で、貸し手(資本家)にとっては、何もしなくても富が雪だるま式に増えていく仕組みです。プルードンは、この利子を含む貨幣の優位性こそが社会的な不平等を拡大再生産する諸悪の根源であるとみなしたのです。

プルードンは、この優位性を「貨幣の王権」と呼び、一部の特権階級に偏っている政治権力と同様、激しく糾弾しました。そして、それを打倒するための方策として編み出したのが、「交換銀行」というアイデアです。 その仕組みは不明な点も多く、正確ではないかもしれませんが、労働を担保としたチケット(交換銀行券)を用いることで、生産者が自分の労働や生産物を互いに直接交換することを目指したものだったようです。またこれも推測ですが、それによって個々の商品の流動性を高め、貨幣の持つ王権ーーすなわち群を抜いて高いその流動性ーーに対抗しようという目論見だったと考えられます。

しかし、当時の社会状況や理論の未熟さからこの構想は実現には至りませんでした。その後、彼は改良版として「人民銀行」の設立を試みましたが、資金不足や政治的な対立などが重なり、これも中途で頓挫してしまいました。

実践面でははかばかしい成果を挙げられなかったプルードンですが、それでも彼の問いかけが後世に与えた影響は甚大です。彼が投げかけた問いや洞察は、貨幣や資本がもたらす不平等を根本から問い直す機運を生み、その後、勃興した社会主義や無政府主義にも大きな影響を与えました。そればかりではありません。100年以上が経過した現代においても、私たちは依然として金融システムの歪みや拡大する格差に苦しんでいます。こうした状況下、プルードンが提示した根源的な問いの数々は、今もなお厳然と目の前に横たわっています。と同時にそれらの問いは、真に公正な経済と社会のあり方を模索する私たちの背中を、時代を超えて力強く押し続けているのです。

2. シルビオ・ゲゼル ――「腐るお金」という発明


シルビオ・ゲゼルは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したドイツの実業家であり経済思想家です。

彼が問題視したのはプルードンと同様、金利です。しかし、それはより自然哲学的な色彩を帯びていました。彼はこう考えたのです。「自然界のあらゆるもの――食物も、道具も、そして人間自身も――は、時間の経過とともに劣化し、朽ちていく。それなのになぜ、貨幣だけが永遠に価値を保ち、あまつさえ利子によって自己増殖していくのか」。 自然の摂理に反するこの「貨幣の不滅性」。ーーこれこそが、富の偏在を生み、不労所得を正当化し、貧困という社会病理を作り出す根本原因であると彼は結論づけました。

この矛盾を解消するためにゲゼルが提案したのが、「自由貨幣」ーー別名「スタンプ紙幣」「腐るお金」ーーです。 具体的な仕組みはこうです。紙幣には日付ごとの枠が印刷されており、所有者は一定期間(例えば一週間や一ヶ月)ごとに、額面の一定割合(例えば1%など)に相当するスタンプ(切手)を購入して、紙幣の裏に貼らなければなりません。もしスタンプを貼らなければ、その紙幣は無効となります。 つまり、このお金は、取引に使わず、持っているだけでは、スタンプ代というコストがかかり、実質的に価値が目減りしていくのです。そのため、人々は価値が減らないようできるだけ早く使ってしまおうとします。つまり、自由貨幣は、貨幣の「退蔵(タンス預金)」を防ぎ、強制的に市場へ循環させることを目的としたお金だったのです。

興味深いのは、この自由貨幣が実際に導入され、一定の成果を上げたことです。特に有名なのが、オーストリアのチロル地方にある小さな町、ヴェルグルでの成功事例です。 1932年、当時のヴェルグル市長は、恐慌で疲弊しきった地域経済を立て直すため、この自由貨幣を導入しました。その結果、どうなったか? それは驚くべきものでした。人々は手に入れた通貨を即座に使用し、通貨は猛烈なスピードで町中を循環し始めたのです。滞っていた税金は完納され、道路整備などの公共事業が進み、失業者は劇的に減少しました。この「ヴェルグルの奇跡」は世界中から注目を集め、フランスの首相までもが見学に訪れたほどでした。現在でも現地の目抜き通りには、この歴史的快挙を記念するモニュメントが誇らしげに立っています。

しかしながら、この斬新な試みは長続きしませんでした。あまりに鮮やかな成功が、皮肉にも中央銀行の逆鱗に触れることとなったのです。「貨幣発行は国家の独占的な権利である」として、オーストリア中央銀行が法的措置をちらつかせて圧力をかけた結果、この自由貨幣の使用は禁止されてしまいました。こうして、ヴェルグルの経済は再び停滞の闇に沈み、自由貨幣の実験は歴史の表舞台から姿を消すこととなったのです。

ちなみに、この自由貨幣ーーすなわち「腐るお金」ーーは、20世紀を代表する経済学者ジョン・メイナード・ケインズも条件付きながら高く評価しています。彼はその主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で、「将来の人々は、マルクスの精神よりもゲゼルの精神から多くを学ぶことになるだろう」という予言めいた言葉を残しています。

一方、21世紀の現在、興味深い動きが出てきています。自由貨幣の欠点のひとつは、スタンプを貼るという手間の煩雑さにありましたが、暗号通貨の登場によってその問題が克服できる可能性が出てきたのです。デジタル技術を用いる暗号通貨であれば、時間の経過に応じて価値を減らしたり増やしたりする設計は自由であり、もちろんスタンプ貼付のような手間のかかる物理的な作業も不要になります。

これは何を意味しているのでしょうか? もしかすると、ケインズのいう「ゲゼルの精神から多くを学ぶ将来の人々」というのは現代の私たちを指すのかもしれません。そして、今後、私たちがそこにゲゼルのアイデアを反映させた「デジタル自由貨幣」を生み出すとしたなら、それはまさにケインズの予言の成就といえるのではないでしょうか。

3. クリフォード・H・ダグラス ――「社会信用」と人類の遺産

クリフォード・ヒュー・ダグラスは英国生まれの技術者であり、経済思想家です。

第一次世界大戦中、王立航空研究所の工場長補佐として軍用機製造に従事し、その際、少佐の階級にあったことから「ダグラス少佐」とも呼ばれています。

彼が資本主義経済の根本的な問題としてやり玉に挙げたのは、購買力不足、すなわち貨幣不足でした。資本主義経済下では生産力に対し、購買力が常に追いつかない構造となっているーー。王立航空研究所で会計業務に携わる中でそのことを発見した彼は、そこに必然的に生じる消費ギャップを資本主義経済の最大の矛盾としてえぐり出したのです。

この問題を解決するために彼が提唱したのが「社会信用論」です。そして、その中心にあるのが、国民配当というアイディアです。 これは、不足する購買力を埋め合わせるために、政府が新たにお金(政府紙幣)を発行し、それを国民全員に定期的かつ直接的に給付するというものです。この仕組みは、現在の「ベーシックインカム(BI)」とほぼ同義のものです。

ダグラスの社会信用論は、1920年代から30年代にかけて欧米を中心に爆発的な支持を集め、一時は英国やカナダで「社会信用党」という政党も結成されるほど勢いづきました。しかし、当時のコミュニズムとファシズムをめぐる熾烈な経済論争、さらにその後の第二次世界大戦による混乱なども重なり、結局、具体的な政策として形になることはありませんでした。

経済学者の間では賛否両論あるダグラスですが、彼の洞察が私たちに残してくれたものは少なくありません。なかでも、それまで空想的な理想論にすぎなかったBIを理論的ベースの上に具体的なプランとして提示した功績は、BIの歴史において特筆すべきものであり、私はそれだけでも高く評価されるべきと考えています。

さらにダグラスのもうひとつの功績は、生産要素に社会文化遺産を加えたことにあります。通常、生産要素といえば、土地、労働、資本の三つとされますが、彼はこれに、文明の発達とともに受け継がれ蓄積されてきた知識・技術・制度などの無形財産を加えました。これらの社会文化遺産があるからこそ、私たちはその都度、数学や物理の理論を一から構築し直すことなくただちに生産活動を始めることが可能になります。つまり、作業にあたって、いちいち「車輪の再発明」をすることなく、過去の成果の上に新たな成果を積み上げていくことができるのは、ひとえにこの社会文化遺産のおかげなのです。

また彼は、この社会文化遺産の相続人は私たち全員であるとも主張しました。すなわち、そこから生まれる利益は、労働をするしないにかかわらず、誰もが受け取る権利があると指摘したのです。この考え方は国民全員に一律にお金を配布するBIの根拠となるとともに、「働かざる者食うべからず」という現代社会を覆う労働至上主義的な声に反駁する上でも説得力のある論拠を現代の私たちに提供してくれています。

このようにダグラスの洞察は、経済と社会のあり方を問い直す上で今もなお私たちにユニークな視点を提供し続けているのです。

4. アーヴィング・フィッシャー ―― 銀行制度へのメス

アーヴィング・フィッシャーは、20世紀前半のアメリカを代表する経済学者です。数学的アプローチを経済学に導入し、現代の金融理論の基礎となる「貨幣数量説」を再構築したことでも知られています。

彼が貨幣システムにおける問題として注目したのは、銀行が持つ「信用創造」というメカニズム、具体的には「部分準備銀行制度」でした。 現在の銀行システムでは、預金者から預かったお金の全額を金庫に保管しているわけではありません。ごく一部を準備金として残し、残りの大部分を貸し出しに回しています。これを繰り返すことで、銀行は元手となる現金の何倍ものお金(信用)を無から作り出すことができます。

フィッシャーは、この「信用創造」の仕組みこそが経済を不安定にさせる主犯であると考えました。好況時には銀行が競って貸し出しを行うため信用が膨張しすぎてバブルを生み、ひとたび不況の兆しが見えると一斉に資金を引き揚げるため信用収縮(クレジット・クランチ)が起き、不況を恐慌へと悪化させる。このジェットコースターのような変動を引き起こす不安定性は、実は銀行システムそのものに起因しているというわけです。

1930年代に世界を覆った大恐慌の原因もここにあるとみたフィッシャーは、ヘンリー・サイモンをはじめとするシカゴ大学の経済学者8名とともに銀行改革プランを当時のルーズベルト大統領に提出しました。これが有名な「シカゴプラン」です。 その骨子は、次の二つでした。

  1. FRBの国有化: 民間銀行の連合体である連邦準備制度(FRB)を財務省に統合し、貨幣の発行権限を完全に政府(国民)の手に取り戻すこと。
  2. 100%準備制度: 民間銀行が「無からお金を作る」信用創造を禁止する。銀行は預かった預金の100%を準備金として保有しなければならず、貸し出しを行う際は、株主資本や長期借入金など、手元にある資金の範囲内でのみ行えるようにすること。

この改革の狙いは明確です。銀行から「お金を作る魔法」を取り上げ、単なる資金の仲介業者に戻すことで、バブルの発生や恐慌の連鎖を構造的に防ごうとしたのです。

当時、このシカゴプランは多くの知識人から支持されましたが、ウォール街を中心とする金融業界からの猛烈な反発や、既得権益層の政治的な工作により、法案化されることなく葬り去られました。 しかし、フィッシャーの警告は無視されたからといって消えたわけではありません。とくに2008年のリーマン・ショックをはじめとする度重なる金融危機をきっかけに、彼のアイデアを再評価する機運は近年、世界中で高まっています。「銀行はなぜ危機を繰り返すのか?」という問いに対する彼の答えは、今もなお最も鋭利な処方箋の一つとして輝きを失っていないのです。


以上、近代資本主義を特徴づける貨幣および金融システムに疑問を投げかけた四人を紹介してきました。彼らの提案は、当時としては急進的であったことや、強固な既得権益の壁に阻まれたことなどから、いずれも実現には至りませんでした。しかし、既存のシステムが限界を迎えている今、彼らが抱いた問題意識はむしろますます重みを増し、私たちにその解決を迫っています。

幾多の困難に抗い、生涯をかけて彼らが灯した「変革の火」は今もなお消えてはいません。資本主義の根本的な行き詰まりが明らかとなった現代、私たちはその遺志を受け継ぐとともに、彼らが灯した火を再び大きく燃え上がらせるべき時期に来ているのではないでしょうか。

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