
AI時代に「死ぬ気で努力しろ」論が危うい理由──イーロン・マスク的未来予測の盲点を考える
最近、X(旧Twitter)でこんな言説をよく見かけます。
「AIの進化によって生産力が爆発し、お金の概念すらなくなる」
「しかし人類はますます格差が広がり、二極化する」
「だから今のうちにAIの恩恵を受ける側に回るよう、死に物狂いで努力すべきだ」
一見もっともらしく聞こえるこの主張ですが、よく考えてみると多くの矛盾と飛躍を含んでいます。
この記事では、この言説がなぜ危ういのかを整理しつつ、私たちは今後どうすべきなのかを考えてみたいと思います。
■前提からして論理がつながっていない
まず指摘したいのは、
「AIの進化によって生産力が爆発する」
という未来像と、
「だから格差が広がる」
という結論は、実は必然ではないということです。
仮にAIによってほとんどの財が超低コストで生産されるようになり、希少性が消えていけば、富の集中を支えていた市場競争の仕組みは弱まっていきます。本来であれば、資源が余る世界で「極端な貧困」と「富の独占」を維持する方が難しくなるはずです。
にもかかわらず、
「だから格差が広がる」
「だから勝ち組になれ」
と話が飛躍しているのは、論理に基づくものというより、たんに「古い物語」に流されているだけに見えます。
■「死ぬ気で努力しろ論」は、古い自己啓発の焼き直し
Xで見かける「努力して上に行け」というメッセージは、実は昔からある自己啓発の変種です。
従来の社会では、頑張ればなんとか上に行ける余地がありました。しかし、AIが加速度的に労働と生産を代替する未来では、構造そのものが変わります。
AIがほとんどの仕事を代替する
生産の中心が人間からAIへ移る
少数のプラットフォームや企業が富を生み出す仕組みを握る
こうなると、「努力すれば勝ち組に入れる」というモデルは急速に成り立たなくなります。
もはや努力の問題ではなく、構造の問題だからです。
言い換えれば、
AI時代の「勝ち組」の枠は、努力量とは無関係に、指数関数的に狭まっていくーー。
そこで「死ぬ気で努力しろ」というスローガンを掲げること自体が、現実に追いついていません。
■二極化は「努力不足」ではなく制度の問題
もしAIが進化して格差が拡大していくのであれば、それは個人の努力の問題ではなく、制度の問題です。
AIが生み出す富を誰が所有するのか
データと特許をどう扱うか
分配の制度をどう設計するか
こうした仕組みをどう作るかによって、二極化の行方は大きく変わります。
つまり、個人の努力で「格差に勝つ」ことが重要なのではなく、
AIによる富をどう社会全体で共有するか
が本当の論点なのです。
■イーロン・マスク的未来像の矛盾
イーロン・マスクはしばしば「AIが富を無限に生み出す未来」「お金が消える世界」を語ります。しかし現実には、
巨大プラットフォーム企業
データの独占
特許
資本の集中
などを通じて、富の独占構造はむしろ強化されています。
彼の語る「ユートピア的な未来像」と、
彼自身が構築している「富の独占構造」には明確な矛盾があります。
危ういのは、それが矛盾に気づかない無自覚な理想論であると同時に、「現行構造に従わせるための物語」として機能していることです。
■努力至上主義は本質的な問題から人々の目をそらす
「努力してAIの恩恵を受ける側になれ」という言説には、重要な問題があります。
それは、
本当に議論すべき問い
から目をそらさせてしまうことです。
本来考えるべきは、次のような問いです。
AIが生み出した富を誰が管理し、誰が利用するのか
生きるための収入をどう確保するのか
労働と生活の関係をどう再設計するか
富の再分配をどう制度化するか
人間の価値を労働以外のどこに置くのか
これは「努力 vs 努力不足」といった話ではありません。
社会全体で設計をやり直すべき、歴史的な転換点の問題です。
■結論:必要なのは「努力」ではなく「設計」
AI時代に必要なのは、
「勝ち組になる努力」ではなく、
「AIが生み出す利益を全員が共有できる仕組みをつくること」
です。
努力の量ではなく、
制度が人を救いもするし、ふるい落としもする。
だからこそ、私たちが向き合うべきは「死ぬ気で努力すること」ではありません。
AI時代の富のデザインを、民主的にどう作り上げていくか
という根本的な問いなのです。
