BIは政府による施しではない

「働かざる者食うべからず」 「タダでお金を配るなんて、裏があるに決まっている」ーー。

ベーシックインカム(BI)の議論になると、必ずといっていいほどこうした反発や警戒の声が上がります。特に根強いのが、「BI=政府による国民奴隷化計画」であるという声です。前回の記事ではその裏に「BIが政府による国民への『施し』である」という偏った捉え方があることを見てきました。

今回の記事では、そもそもなぜそのような疑念が生じるのか、そこにある構造をもう少し掘り下げてみたいと思います。その構造が明らかになれば、その捉え方はもちろん、そこに生じる疑念もまた的外れであることがよりいっそう鮮明に浮かび上がってくるはずだからです。

なぜ「施し」に対して警戒してしまうのか?

まず、多くの人がBIに対して抱く疑念の正体について考えてみましょう。たんに「政府がお金を配る」ことなのに、私たちはなぜこれほど警戒心を抱くのでしょうか。

その理由は、「贈与」という行為が持つ二面性にあります。

文化人類学的な視点で見ると、贈与にはしばしば「賄賂」のような性質がつきまといます。誰かから一方的に物をもらうことは、「贈与を受けた側が、贈与者の意向に従わざるをえなくなる」という、見えない負債を背負うことになるからです。

つまり、贈与には、必然的に「支配と従属」の関係を生じさせる構造があるのです。

この関係をBIにあてはめるとこのような図式になります。

政府=与える側(支配する側)

国民=もらう側(従属する側)

この図式で捉えると、BIは「政府が国民に対して従属を迫るための道具」ということになります。つまりBIに対する警戒心は「BIを政府から国民への贈与(プレゼント)」とみなすことから生まれるのです。

しかし、そもそもBIを「贈与」とみなすこと自体が間違っているとしたらどうでしょうか?

BIは「贈与」ではなく「社会の維持コストへの支払い」


BIが、政府からのたんなる贈与ではない理由は、以下の3点から明らかです。

お金は公共インフラである

水道や道路と同じく、お金は経済を動かすためのインフラです。お金が社会の隅々まで血液のように循環していなければ経済は機能しません。お金を一部に滞留させず、社会の構成員に満遍なく行き渡らせることは、「経済を機能させ」、「社会の健康を維持する」上で不可欠な条件です。つまり、BIは「可哀想な貧困者を救うための恣意的な慈善事業」ではなく、社会経済を健全に維持するために欠かせない、いわばインフラ整備事業なのです。

原資は「人類の知的遺産」である

私たちが今日生み出している富は、ゼロから自分たちだけで作ったものではありません。過去数千年にわたる人類の技術や知識の蓄積(知的遺産)の上に成り立っています。その成果を享受する権利は、一部の成功者だけでなく、遺産の継承者である「現在を生きる私たち全員」にあります。

資本主義のバグを修正する「必須機能」である

現在の資本主義経済は、お金が一部に偏りすぎると、多くの人の購買力が下がり、結果として経済全体が回らなくなるという矛盾を抱えています。BIはこの「購買力不足」を解消し、貨幣循環の滞りを是正するための方策です。つまり、持てる者から持たざる者への慈悲ではなく、経済を回すために必要不可欠な仕組みなのです。

「国民から国民への自己贈与」という視点


以上の点から、BIを「政府(他者)からの贈与」と見なすのが不適切であることがご理解いただけたかと思います。といっても、何かをどう捉えるかは個人の自由である以上、中にはBIを贈与とみなしたい人もいるでしょう。その場合、こう考えてみてはどうでしょうか?

BIとは、「国民が国民自身に対して行う自己贈与」である、と。

つまり、私たち国民自身が生み出した富を同じく私たち自身である国民に対して贈るという考え方です。国民が唯一の主権者であり、その権利を侵す者が国民以外に誰もいない民主主義国家においては、こうした考え方は十分成り立つはずです。

そして、この場合、「自分で自分に贈る」のですから、誰かに支配される懸念も、圧力を受ける心配もありません。

仮にそこに何らかの心理的影響が生まれるとすれば、それは特定の権力者への従属心ではなく、「社会への返礼」という前向きな意識でしょう。

たとえば、

社会のために貢献したいという意欲

受け取ったお金を貯め込まず、経済を回すためになるべく早めに使おうという意識

などです。

しかし、これらは社会をより健全なものにするための「有益な影響」であり、悪影響と呼ぶにはあたりません。

結論:誤解を解いて、その先へ


「BIは政府による施しである」という見方は、贈与が持つ権力構造への過度な警戒心と、民主主義、および経済システムへの理解不足が生んだ誤解にすぎません。

BIは、私たちが私たち自身のために構築する経済循環のシステムであり、未来に向けた投資です。

「施しを受ける」という受動的な態度ではなく、「共有の遺産を適切に分配し、経済を自分たちで回していく」という主体的な視点に立ったとき、BIの議論はもっと建設的なものになるはずです。

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