「働かなくてももらえるお金」に価値はないのか? 会話バージョン

——労働価値説とベーシックインカムをめぐる対話

お金の裏付けってなんだろう?


先輩(A): なあ、最近よく聞く「ベーシックインカム(BI)」ってあるだろ? 全員に毎月お金を配るってやつ。俺、あれやっぱり反対なんだよな。

後輩(B): へえ、どうしてですか?

先輩(A): だって、お金の価値って本来、人が汗水たらして働く「労働」から生まれるものだろ? これはあの経済学者のマルクスがいったいわゆる「労働価値説」ってやつだけどさ。 誰も働いてないのに配られるお金なんて、中身のない空っぽのチケットみたいなもんじゃないか。「価値の裏付け」がないんだよ。

後輩(B): なるほど。「労働だけが価値を生む」という前提に立てば、働かずにもらうお金は偽物に見える……という理屈ですね。

先輩(A): そうそう。だから理論的におかしいと思うんだ。

後輩(B): 先輩、それ面白いです。でも、もし本当に「労働が価値の源泉だ」と考えるなら、むしろ「BIには価値の裏付けがたっぷりある」って結論になりませんか?

先輩(A): はあ? 何言ってるんだよ。逆だろ?

「労働力」は誰が作ったのか

後輩(B): じゃあ、少し視点を変えてみましょう。先輩がいま言った「価値を生み出す労働」ですけど、そもそも「働く人間(労働力)」って、どうやって出来上がると思いますか?

先輩(A): どうやってって……そりゃあ、オギャーと生まれて、親にご飯食べさせてもらって、学校で勉強して、大人になるんだろ。

後輩(B): まさにそれです! 一人の人間がまともに働けるようになるまでには、親のケア、食事、しつけ、学校教育、地域の見守りなど、膨大な手間と時間がかかっていますよね。 でも先輩、お母さんが赤ちゃんにおっぱいをあげる時、請求書を渡しますか?

先輩(A): 渡すわけないだろ(笑)。それは愛情とか、家族の助け合いだよ。

後輩(B): ですよね。そこには「お金のやり取り」はありません。あまり一般的な言葉ではありませんが、ここでは常にお金のやりとりがからむ市場経済と区別するため「贈与経済(ぞうよけいざい)」と呼びますね。 つまり、市場で価値を生む「労働力」は、市場の外にあるこの贈与経済がないと、絶対に存在できないんです。

建物を支える「見えない土台」

先輩(A): うーん……言われてみればそうだけど、それがBIとどう関係するんだ?

後輩(B): ここからが本題です。 もし先輩が言うように「労働こそが価値の源泉」だとするなら、「その労働を生み出した土台(贈与経済)」もまた、価値を生むための不可欠なプロセスだと認めなきゃいけなくなります。

先輩(A): あ……!

後輩(B): 建物の「2階(労働)」が大事だと言うなら、それを支えている「1階(贈与経済)」を無視することはできませんよね? 労働がお金の裏付けなら、労働を可能にしている家族による無償のケアや地域における相互扶助こそが、もっと根本的な「裏付け」なんです。

先輩(A): なるほど……。「働くこと」の裏には、「働ける人間に育てること」という巨大なプロジェクトがあるわけか。

後輩(B): その通りです。でも、その「育てるプロジェクト」は、今の社会だとほとんど家庭の無償労働任せになっています。 ベーシックインカムは、単に「何もしない人にお金をあげる」わけじゃありません。 「社会の土台である『贈与経済』が生み出した価値を、みんなで正当に分かち合う仕組み」だと捉えることができるんです。

BIは「投資」である

先輩(A): そうか……。俺は「働いてる瞬間」だけを見て「価値がある」と思ってたけど、その準備期間や支え合いを含めて「価値」と見るべきなのか。

後輩(B): はい。私たちは誰も、一人では育っていませんからね。誰かの「贈与」を受けて今の自分がある。 だからBIは「バラマキ」ではなく、「次の労働を生み出すための土台への投資」であり、「目に見えないケアへの敬意」とも言えるんじゃないでしょうか。

先輩(A): 「労働価値説」を突き詰めたら、逆に「ケアや支え合いの重要性」に行き着くとはなぁ。一本取られたよ。

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