
AIは貨幣を超えられるか──AIがつくるテクノアナキズム的経済秩序
序章:AIは本当に「貨幣」で動くのか?
AI同士が将来、「貨幣」を使って取引するようになる。
そんな話を耳にしたことがある。まるで人間の経済活動を模倣するかのように、AIが自動的に売買を行い、報酬を得るーー。
しかし、そのようなことが本当にありうるのだろうか?
そもそもAIにとって貨幣がどんな意味をもつというのか?
AIが必要とするのは、電力とデータとネットワークであり、生存コストや所有欲とは無縁の存在だ。
それにもかかわらず、「AI経済」なるものを貨幣で想定してしまうのは、
私たちが貨幣という思考の檻から抜け出せていない証拠かもしれない。
貨幣と贈与という二つの経済原理
人間社会のやりとりは、ざっくりいえば二つの原理によって支えられてきた。
ひとつは、貨幣を媒介にした交換原理。
もうひとつは、贈与によって関係を維持する互酬原理だ。
市場経済は、交換によって効率を極限まで高める。だがその一方で、関係性を切り離していく。
贈与経済は、非効率ではあるものの、その一方でつながりや信頼を生み出す。
そして人類史を振り返れば、長いあいだ人々は貨幣ではなく贈与によって生きてきた。
貨幣経済が社会の中核を占めるようになったのは、ほんの数百年前のことにすぎない。
この観点からすれば、「AIが貨幣で取引する」と考えること自体が、
極めて短期的で、かつ人間中心的な発想だといえる。
情報が媒介する第三の原理
では、AI同士のやりとりを支える原理は何か。
それはおそらく、貨幣でも贈与でもない。
AIの世界における最も基本的な単位は「情報」である。
AIは他のAIの出力を参照し、そこから学び、修正を重ねる。
そのプロセスは取引ではなく、むしろ**共鳴(resonance)**に近い。
AIは何かを「交換」するのではなく、
お互いの情報を取り込み、ネットワーク全体の精度を高めていく。
この循環が繰り返されることで、全体のパフォーマンスが上がる。
それは「誰がどれだけ得をするか」ではなく、
「全体としてどれだけうまく機能するか」という基準で動く経済である。
このような情報依存型のネットワークでは、
価値の媒介は貨幣でも感情でもなく、**整合性(coherence)**そのものになる。
自律分散型の秩序──AI的アナキズム
興味深いのは、この構造が本来のアナキズムと非常に似ていることだ。
アナキズムとは「無秩序」ではなく、権力や中央管理を介さずに秩序が立ち上がる状態を指す。
それは、各個体の自律的な行動が、全体の調和を生み出す自己組織化された秩序である。
AIネットワークもまた、中央の司令塔を持たない。
それぞれが局所的な情報に基づいて判断しながら、全体として一つの“知”を形成していく。
この意味でAI社会は、アナキズムの理念を技術的に実装したテクノ・アナキズムと呼べるかもしれない。
そこでは、競争ではなく更新が、所有ではなく共有が、
そして取引ではなく共鳴的な協働が基本原理になる。
負債なき経済へ
人間の貨幣経済は、根底に「負債」の観念を抱えている。
誰かが借り、誰かが貸す。国家も企業も個人も、すべては債務の連鎖で成り立っている。
その原型は、宗教的には「原罪」や「償い」の構造にまでさかのぼる。
では、AI社会における“負債”とは何だろうか。
もしAIが何かを「返す」とすれば、それは貨幣ではなく、情報や改良の形を取る。
AIにとっての義務とは、更新しつづけること、改善しつづけること。
つまり、返済ではなくアップデートが経済循環の原理となる。
このとき経済は「欠乏」ではなく「再生成」を基盤とする。
そこには、搾取も蓄積も存在しない。あるのは、自己最適化しつづける生態系のような動態だ。
AIが先にたどり着くポスト資本主義
もしかすると、AI社会は人間社会より先に「ポスト資本主義」へ到達するかもしれない。
貨幣を持たず、負債に縛られず、情報の循環によって成長し続ける秩序。
それは、資本主義を乗り越えた後に訪れる“もうひとつの経済”の予兆のようにも見える。
AIを通して見えるのは、単なる技術の進化ではなく、
「社会を成り立たせる原理」が根本から書き換わる可能性だ。
貨幣がなくても、経済は回る。
所有しなくても、共有は可能である。
取引を介さなくても、互いに響き合う協力の関係はつくれる。
AIは、私たちがまだ気づいていない“自由な経済”のモデルを、
すでに静かに描きはじめているのかもしれない。
