
Kindle本『ゲームチェンジャーとしての国民配当(ベーシックインカム)』ーー「はじめに」から
はじめに
国民全員に定期的にお金を支給するベーシックインカム(以下「BI」)ーーこの一見突飛な構想が日本で広く知られるようになったのは2010年前後のことです。専門家の間では以前から議論されていましたが、一般の人々にも認知されるようになったのはおそらくこの時期でしょう。当時の日本は「失われた20年」と呼ばれる長期不況の真っ只中にあり、従来の経済政策に限界を感じていた人々の間で、この斬新なアイデアは小さなブームを巻き起こすことになりました。以来、BIをめぐる議論は左右の論者を巻きこみながらしだいに熱を帯び、そこから生じた波紋はいまや国論を二分するほどの大きなうねりへと成長しています。
こうした状況を反映してか、今日ではBI関連の書籍は紙の本、電子本を問わず、かなりの数に上っています。なのに、今さらなぜ同じテーマの本を出す必要があるのか? そこに新しい切り口などあるのか? 読者の中にはそういぶかしみながら本書を手に取った方もいるでしょう。
そこで、まずはその問いに答えることから始めたいと思います。実をいえば、その答えは、私が本書を執筆したまさにその動機の中にあります。では、なぜ私はこの本を執筆しようと思ったのか。それは、従来のBI論に物足りなさを感じていたからです。もちろんBIという構想自体に対してではなく、あくまでもそれをめぐる「BI論」に対してです。そもそも私はBIに対して懐疑論者ではありません。むしろもろ手を挙げて賛成する立場です。それでも、というか、だからこそ、不満を感じていたのです。
どこに不満を感じていたのか? それは従来のBI論の多くが経済的・財政的な視点に偏りすぎている点に対してです。BIが貧困という経済的な問題に対する有効な解決策であり、またそれを実現する上では財政問題が無視できない以上、どうしてもそうなりがちなのは理解できます。しかし、それだけではBIの全体像が見えなくなる危険性がある、と私は危惧しています。
というのも、BIは人間の生き方、社会のあり方にも深く関わるものだからです。そして、それがカバーするのは経済的、財政的な視点だけでは捉えきれない広大な領域です。それを経済的・財政的な視点からのみ切り取ることは、ベーシックインカムという構想自体を矮小化することにもなりかねません。それではBIの全体像を見失ってしまうばかりか、それが持つ歴史的・文明史的な意義までもないがしろにされてしまうおそれがあります。それこそが私が抱いた不満の正体です。
ここで念のためお断りしておきますが、すべてのBI論がそうだといっているわけではありません。もちろん、なかには驚くほど深い洞察を見せてくれているものや、思わずうなってしまうユニークな視点を提供してくれるものは決して少なくありません。ここでは一般論としてその多くが経済的・財政的視点に偏る傾向にあることを指摘しているだけです。
ところで、こうした思いを抱くに至った背景には、私自身のキャリアも関係しています。じつは私は、広告やマーケティングの分野でキャリアを積んできたマーケッターでもあります。その立場からあえていわせてもらえば、従来のBI論が依拠している伝統的な経済学は、正直なところ現場ではほとんど役に立ちません。少なくとも人間および社会を分析する上ではまったく用をなさないといっても過言ではないでしょう。なかでも違和感を覚えるのは、人間に対するその画一的・教条主義的な考え方です。
伝統的な経済学――とくに主流派経済学――では、人間を合理的な存在とし、常に経済的利益を天秤にかけながら合理的に行動することを前提としています。ここにあるのは、自己の経済利益を最大化することを唯一の基準として行動する人間像――いわゆるホモ・エコノミクス――です。さらに社会も、その合理的な人間によって成り立っていると仮定しています。つまり社会もまた合理的な構造物であるという想定です。
しかし、これは人間と社会というものを、いささか単純化し過ぎているきらいがあります。実際、この世界には合理性では割り切れない不条理な出来事は少なくありませんし、仮に人間が本質的に合理的な存在だとしても、「あなたはいついかなる場合も合理的に行動できるか?」と問われて、自信をもって「はい」と答えられる人はそう多くないでしょう。にもかかわらず、従来の経済学では、ホモ・エコノミクスという前提を自明のものとみなし、それ以上、深く掘り下げようとはしません。
一方、マーケティングでは、人間を非合理な存在とみます。いや正確にいうと、もともとそのような特定の見方や前提があるわけではありません。そうではなく、長年にわたる試行錯誤の末、結果的にそう見るようになったというべきでしょう。
マーケティングというのは、平たく言えば「どうすれば商品を買ってもらえるか」を工夫する仕事です。たとえば、競合商品の方が明らかに優れているにもかかわらず、何らかの工夫を施すことで自社商品を選んでもらう──そういったことを日常的に行っているのがマーケティングの現場です。これはある意味、人に非合理な選択(経済合理性から逸脱した別の動機による選択)をさせることです。というより、そうした人間の非合理な側面に働きかけ、あえて「非合理」な選択を促すのがマーケティングであるといってもよいでしょう。すなわち、そもそもマーケティング自体が、人間の非合理性を前提として成り立っているのです。
社会についても同様です。マーケティングでは一般に、社会もまた非合理なものとみます。それは、非合理な人間で構成される以上、社会も合理的であるはずがないという認識からです。流行現象がそうであるように、マーケティングが社会をある程度コントロールできるのも、そこに経済合理性とは別の「非合理な」動機が入り込む余地があるからです。
このように、マーケティングは従来の経済学が当然の前提としているホモ・エコノミクスという人間像に対し、早い段階から懐疑的な立場を取っていました。近年になって行動経済学がようやくそのことに気づいたようですが、マーケティングの世界ではその洞察はすでにかなり前から共有されていたのです。
なぜそのような洞察が可能になったのでしょうか? それはマーケティングが市場と人間との接点に位置するものだからです。そこでは人間とは何か、社会とは何かという本質的な問いに日常的に向き合うことが求められます。そのためには、経済学ばかりでなく、心理学や社会学、人類学、哲学といった幅広い領域にわたる最新の知見に対してもアンテナを張っておく必要があります。さらにビジネスである以上、そこでは理屈よりも結果が重視されます。つまりそこは机上の空論ではなく、実証された事実がものを言う世界なのです。それは、たとえていえば社会学の研究室において日々、社会を相手に実験を繰り返しているようなものです。そこでの蓄積が人間や社会に対する独自の、そしてより深い洞察へとつながっているのです。
こうして両者を比べてみると、少なくとも人間と社会に関する洞察という点においては、理論の檻の中から出ようとしない従来の経済学より、実践の中で鍛えられ磨かれてきたマーケティングの方がより深いところに到達するのはある意味、当然といえるでしょう。
そして、そんなマーケティングの現場に身を置く立場からすると、そうした伝統的な経済学に依拠し、経済的・財政的な視点に偏った従来のBI論は人間と社会に対する洞察が皮相的という点でどうしても物足りなさを感じてしまうのです。
私がこの本を書いた理由もそこにあります。すなわち、BIという構想には注目されるべき多くの領域があります。にもかかわらず、そこには十分な光が当たらないまま放置されている場所がいくつもあります。これまでほとんど注目されなかったそうした場所にあえて踏み込み、そこに私なりの光を当ててみたいーー。それが私がこの本を執筆しようと思い立った動機です。
▶︎この本の特色
ここで「なぜ今さら同じテーマの本を出す必要があるのか? 新しい切り口などあるのか?」という最初の問いに戻れば、これもまた同じ答えになります。すなわち、「もっぱら経済的、財政的な視点からのみ切り込む従来のBI論とは異なり、人間や社会を含むより幅広い視点から切り込んでいる」ことがそれです。そして、その点こそが本書の最大の特色であり、類書との違いもそこにあるといえます。
もう少し具体的にいえば、この本では、今なぜBIが必要なのかを歴史的、人類学的な観点から解き明かすとともに、そこにある矛盾をどうやって乗り越えるかという側面に焦点を当てています。またその際、貨幣権力と贈与経済という独自の概念を提示したことは、本書のユニークな点であると自負しています。
なお、この貨幣権力と贈与経済という概念が生まれた背景には、マーケティングの現場で得た知見に加え、2000年前後から個人的に関わってきた地域通貨運動での経験も関係しています。地域通貨とは、特定の地域内で利用できる独自通貨のことで、その背景には既存の貨幣システムがはらむ問題に対する異議申し立てがあります。さらにその根底には、主流派経済学とは異なる視点を持つ貨幣観や経済観が横たわっています。その運動に関わる中で、私は必然的に「お金とは何か」「価値とは何か」という根本的な問いと対峙せざるをえない状況に置かれました。「貨幣権力」「贈与経済」という概念は、こうした問いと正面から格闘する中から生まれた筆者独自のアイデアであり、この本を特徴づける大きな柱です。
▶︎この本の構成
この本は第I部と第II部の二部構成となっています。第I部では、BIとは何かについて簡単におさらいした上で、それがなぜ必要なのかを理論的な側面から論じます。またそこでは、資本主義が持続不可能であり、BIがそれを持続可能にするとともにそれを乗り越えるための触媒となりうることを示します。
次に、BI導入後の社会がどんなものになるのかを論じます。そこではとくに、BIによってもたらされる貨幣権力の低下と労働からの解放が、社会にどのような変化をもたらすかを中心に、その見取り図を描いてみました。
そうした理論的な前提を踏まえた上で第II部では、BIをめぐってしばしば話題となる個別の争点について、それぞれの主張や懸念に対して検討を加えつつ、賛成論者の立場から反論を試みました。また、本書のテーマとは直接関係しないものの、BIを理解するうえで有益と思われる話題については、コラムという形で補足的に取り上げました。
本書で論じるのは、ベーシックインカムという「新しい経済システム」の話です。しかし、それは経済の話であると同時に、私たち自身の「生き方」と「社会のあり方」を根本から問い直す探求の旅でもあるかもしれません――。
それではよい旅を!
