
市場経済はなぜ贈与経済を侵食するのか?
私たちの暮らす資本主義社会については、多くの人が「市場経済がすべてを回している」と考えている。しかし現実はそうではない。実際には、それは贈与経済圏ーー家族や地域の助け合い、無償のケア、互いの信頼にもとづく行為など――によって支えられている。
市場経済がこの贈与経済という基盤なしに成立しないことはこれまでの議論によって明らかになった。しかし、ここには重大な矛盾が存在する。
それは、「市場経済は、贈与経済圏に依存しながらも、その贈与経済圏を侵食し破壊していく傾向をもつ」ことだ。
なぜそんな倒錯した現象が起きるのか? そのメカニズムを解き明かす前にまずは具体的な事例からみていこう。
■ 市場経済が“贈与”を取り込むとき
家事労働の市場化がもたらしたもの
かつて家事や介護といった家庭内の仕事は、ほとんどが女性による無償労働として担われていた。これは典型的な贈与経済の領域である。しかし20世紀後半になると、外食産業や介護サービス産業が急速に拡大し、それらの仕事の多くがビジネスとして市場に組み込まれていった。
もちろん、これによって家庭内の負担が軽減された点は評価すべきだ。しかし同時に、
●家族の役割の縮小
●家庭内での助け合いの減少
●家事やケアをめぐる共同性の喪失
といった「贈与経済圏の縮小」が進んでいったことも忘れてはならないだろう。
冠婚葬祭が“イベント化”した理由
結婚式や葬儀は、かつては親族や地域の人たちが協力して行うものであり、ここにも濃密な贈与のネットワークがあった。しかし、ブライダル産業・葬祭産業の台頭は、その領域を市場の支配下に置いた。
その結果、
●地域のつながりの弱体化
●人間関係にもとづく共同作業の後退
●儀礼の形式化・死の商品化
といった変化も同時に進行した。
これらの現象の裏に通底するものは一体何か? それは、お金の論理とは無縁だった領域が、「お金の論理」の下に組み込まれていくプロセスである。いうまでもないが、ここでお金の論理というのは市場経済圏のことであり、それと無縁だった領域というのは贈与経済圏のことである。すなわち、ここにあるのは、贈与経済圏が市場経済によって侵食され、破壊されるという一連の変化である。そして私たちは今まさにその歴史的な変化を現在進行形で目撃しているのである。
しかし、ここで疑問がわき起こる。それは、市場経済にはなぜ贈与経済圏を侵食する性質があるのか、という謎である。
結論から先にいうと、市場経済にはもともと膨張する傾向が備わっているからである。そのため、放っておけば勝手に外部を侵食し、自らの中に飲み込んでいく性質を持っているのである。
では、なぜ市場経済には外部を侵食するこれほどまでの膨張力があるのか?
■ 市場が外部を侵食する「3つの理由」
その理由は大きく3つある。
利益への無限の欲求
市場経済の原動力は「利益」である。企業は利益が生まれる場所であれば、家庭でも地域でもどこにでも進出する。これは、マルクスが指摘した「資本の増殖運動」そのものだ。利益を求める運動は止まることを知らず、常に拡大を続けなければならないのである。
絶え間ない競争圧力
市場は競争によって成り立っている。競争に敗れないためには、企業は常に新たな市場を開拓し、領域を広げ続ける必要がある。現状維持は事実上の敗北を意味し、他社にシェアを奪われるリスクを常にはらんでいる。この競争原理が、市場の膨張を強制するのである。
利子がもたらす成長の強制
企業活動には借金が必要だ。借りたお金には利子がつく。
つまり、企業は借りたお金以上の利益を市場から回収しなければならない。この構造が、「市場は最低でも利子分だけ成長し続けなければならない」という仕組みを生む。つまり経済は常に成長するべく運命づけられているのである。
このように、市場経済には常に膨張し、肥大化する傾向がある。そしてその膨張は、必然的に外部にある贈与経済圏への侵食を引き起こす。これが、市場経済が絶えず膨張を続け、贈与経済圏を侵食していくメカニズムなのである。
■ 「悪魔のひき臼」が社会をすりつぶす
経済人類学者のカール・ポランニーは、市場のこのような膨張を指して、「悪魔のひき臼が社会を挽いている」 と表現した。これは、外部を飲み込み、自らの論理で変質させていく市場経済を、悪魔が挽くひき臼にたとえ、それによって社会が粉々に解体されていく様子を比喩的に言い表したものである。
さらにポランニーは、もうひとつ重要な点を指摘している。それは、もともと社会の枠組みの中で機能すべき市場経済が肥大化した結果、社会との力関係が逆転してしまった ことだ。
市場は本来、社会に埋め込まれた一つの仕組みにすぎなかった。しかし現代では、
「市場が社会のルールを決め、人間の暮らしが市場の論理に従わされる」
という逆転現象が起きている。
彼はこの倒錯した構図を正さなければならないと強く主張した。すなわち、市場経済を再び社会の中へ「埋め戻す」必要がある と訴えたのである。
