
ベーシックインカムの歴史②──理想から現実へ
19世紀に入ると、三人のトマスの思想に影響を受けた人々によって、同様の構想がいくつも生まれました。しかし、それらはどれも現実味を欠き、机上の空論にとどまっていました。
それでも時代が進むにつれ、BIの発想は少しずつ現実の経済問題と結びついていきます。
クリフォード・H・ダグラス──「国民配当」という発想
20世紀初頭、イギリスの技術者であり経済思想家でもあったクリフォード・H・ダグラスが登場します。彼は企業の会計を分析する中で、「生産された商品をすべて買うには、世の中に出回るお金が常に足りない」という矛盾に気づきました。
その問題を解決するため、彼は「社会信用論(Social Credit)」を提唱し、
不足する購買力を補う形で国民全員に「国民配当(National Dividend)」を支給すべきだと主張しました。
さらにダグラスは、生産の源泉は人間の労働よりも技術や機械にあり、それらは人類全体の知的遺産によって成り立っているのだから、利益もまた全員に分配されるべきだと説きました。
この発想は、今日のベーシックインカムと非常に近いものであり、その意味で、ダグラスは「現代BIの父」と呼べるかもしれません。
20世紀後半──忘れられた時代と小さな灯
第二次世界大戦が終了すると、一時期、公民権運動を率いたマーティン・ルーサー・キング牧師がBIを提唱したことを除き、BIに対する社会の関心は戦前に比べると低迷しました。戦後の経済成長が人々に豊かさをもたらし、「すべての人に所得を保障する」という発想が忘れられていったのです。
強いて関連する動きを挙げるなら経済学者のミルトン・フリードマンが負の所得税を提唱したことくらいでしょうか。これは一定以下の所得の人々に税金を取る代わりに給付を行う仕組みで、貧困対策として注目されましたが、ベーシックインカムとは異なる発想でした。
BIENの誕生とBIの復活
このように、20世紀後半はベーシックインカムにとって、やや不遇な時代であったと言えます。しかし、そんな状況の中でも特筆すべき重要な動きがありました。それは、ヨーロッパにおいてベーシックインカムに関心を寄せる個人や研究者らが集い、「BIEN(Basic Income Earth Network)」が設立されたことです。
1986年にヨーロッパで誕生したBIENは、当初「Basic Income European Network」として活動を開始しました。その後、ベーシックインカムへの関心が世界的に広がりを見せたことを受け、2006年には名称を「Basic Income Earth Network」へと変更し、活動の枠組みを地球規模に拡大しました。
21世紀に入ると、ベーシックインカムを巡る議論は再び活発化します。背景には、BIENをはじめとする関係者による地道な活動の積み重ねがありましたが、直接の契機となったのは、2008年に発生したリーマン・ショックに端を発する世界金融危機でした。この危機をきっかけに資本主義の持続可能性に対する疑問の声が高まり、現代の経済社会の仕組みそのものを見直そうとする動きが加速したのです。
そうした意識の変化を背景に、世界各地でベーシックインカムの導入実験が行われるようになりました。それらの結果はいずれもポジティブなものです。もちろん議論は現在も続いていますが、全体的な趨勢を見る限り、もはや「ベーシックインカムを導入すべきか否か」という段階は通り越し、「いつ、どのように導入するか」という実践的な段階に移行しつつあると言えるでしょう。
さらに、AIの進化が急速に進んだ2020年代に入ると、AIやロボット技術の普及による雇用への不安が新たに加わりました。加えて、同時期に発生したコロナショックの影響も相まり、それまで漠然としていた未来への不安は、より現実味を帯びた危機感へと変化しています。こうした状況を踏まえ、ベーシックインカムの導入は、もはや遠い将来を待って検討する余裕のある課題ではなく、今日明日にも取り組むべき喫緊の課題として認識されつつあります。
