自死を選ぶ日本社会

病気になったら借金してでも病院にかかるのが通常の感覚であろう。そうしないのは生きるのを諦めた人だけだ。社会も同じである。予算がないから消防隊を出動させられないだの警察を動かせないだのというのは、それは共同体としての自死を意味する。

マネーは社会の血液のようなものであるが、いま、そのマネーが不足している。すなわち社会はいま血液不足という病気に罹っているのだ。

しかし血液が足りないからといって、身体が末端の毛細血管から心臓に逆流させようとするだろうか? もちろんそんなことはしない。身体には造血機能があり、養分さえあれば血液などいくらでも作れるのだから。

今の日本も同様である。金がない金がないといいながら末端の貧民から税金を絞り上げているが、これは自然の理にも反している。これではもはや社会としての生存を諦めたようなものだろう。いや実際、今の日本はすでに病気の治療を諦め、自死の道を選択したのかもしれないーー。

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