儀礼的消費としてのベーシックインカムという考え方

需要は儀礼消費によっても生まれる。たとえば冠婚葬祭などに関連した消費だ。これは、それを支える労働も含めて近代合理主義の観点からするときわめて「非生産的かつ無駄」なものである。

しかし実のところ、この社会の経済はそうした一見無駄な儀礼的消費があってはじめて安定的に回っているのだ。そのことはクリスマスや正月がなくなったらどうなるかを想像すればわかるだろう。あるいは青森県がねぶた祭りを廃止したらその経済がどうなるかを想像してみるのもよいーー。

こうした「たんに消費することを目的とした」「労働とは切り離された需要」はじつは現代の経済においてもそれを維持する上で無視できないほどのウエイトを占めている。

労働なしの消費を許容するベーシックインカムにどうしても抵抗があるのなら、それもまたクリスマスや正月と同様、ある種の儀礼的消費の創出機会と捉えてみてはどうだろうか?

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