儀式的消費(労働)としてのベーシックインカム
働かない人にも金を配るBIにそれほど抵抗があるならそれを儀式消費の一種とみなしたらどうか?
儀式消費とは会食に出席するなどの「非生産的な消費(同時に労働でもある)」のことである。
なんならBIの対価として受給者には九字を切ることを義務づけてもよいだろう。毎月一度在宅のまま役所に
向かって臨兵闘者皆陣列在前と唱えるのだ。
それがどのくらいの社会的価値を生み出すかは計測不能だが、少なくとも一回なん十万円もふんだくる生臭坊主のお経と同じ程度の「社会的価値」はあるとみなせるだろう。
そもそもいわゆるブルシットジョブは儀式的な労働とみなすこともできるわけで、ある意味、現代経済はすでに儀式的な労働分配制度になっているといえるのではないか?