竹林の一愚→

●日本の歴史を見ると、そこにあるのは天皇制アナキズムとでもいうべき、西洋はもちろん中国にも見られないユニークな「自由」平等社会であった。そこから天皇という存在を取り払ってしまえばそれはたんなるアナーキイへと堕してしまう。当然ながら社会もまた全面的に崩壊してしまうだろう。

●多神教の文明が根底にある以上、日本の政治がぐだぐだなのはしようがない。むしろ一神教的独裁に陥りにくいという点では良いことでもある。戦前日本が「世界征服を目指して一致団結していたなどというのは嘘だ。もし日本の政治が昔から「立派」であれば実際世界征服も可能だったであろう。

●学校教育や性的嗜好、男女の役割分担なども含め、自由化に賛成する人はいわゆる左派に多い。けれど経済に関していえば左派は自由化には反対だったのでは? 何を自由化すべきで何を自由化すべきでないか、頭の良い左派は全てお見通しだから大丈夫、なのか? ソ連の失敗はどうなんだ?

●しょうもない人たちを相手にしょうもない商品を売らないと生きていけないという地獄のようなこのしょうもない社会。

●学校教育の自由、性的嗜好の自由‥。最近のリベラルの言動をみていると左翼を飛び越えてアナキストになったのか、と勘繰らざるをえない。しかし無為而無不為というアナキズムの本質を担保するものが何であるのかを知った上で彼らはそう主張しているのだろうか? そうは思えない。

●戦後の日本社会は資本主義の衣をまとってはいたが実態は限りなく社会主義的であった。日本独特の家族主義的な企業経営なるものは中国の人民公社の焼き直しだし、「働かざる者食うべからず」という考え方は戦前の財閥資本家の無為徒食ぶりに対する労働者階級のルサンチマンから生じたものである。

●政府の介入を拒否するのがアナーキズムだとすれば、市場への政府の介入を嫌う自由主義経済思想こそアナーキズムの名にふさわしいのではないだろうか?

●自分はアナーキストだから天皇制には賛成だ。民衆による自治につきものの反目やマウント合戦、すなわち万人の万人に対する闘争に歯止めをかけられるのは当面、天皇という超越的な存在しか考えられないからだ。

●日本では労働貴族たちが「働かざる者食うべからず」と言って「資本主義精神」を大いに称揚している。しかしその精神の正体が実は共産主義であった事には彼ら自身気づいていない。戦前の国家社会主義が戦後の保守思想の源流の一つになったことも関係しているのだろうが、いずれにせよ奇妙な光景である。

●どうも左翼に限って国際法がどうのこうのという傾向が強いように見える。もちろん法律を守るのはけっこうなことだ。しかしいつも疑問に思うのは彼ら左翼が憧れる「革命」という体制に対する反逆行為が果たして合法なのかどうかということだ。

●個人と社会は不即不離であり、本来分かつことができないのだが、残念ながら近代的思考では両者は別物だという「迷信」がはびこっている。左翼思想にしがみつく団塊世代がいる限り、ポスト近代は到来しようにも到来できないだろう。

●欲望を煽り、それを全開にすることが奨励される社会が劣化するのは必然である。そしてその単純な事実から目をそらし、したり顔で社会改革を論じる知識人がいること自体、この社会がいかに歪んでいるかを示している。

●たとえば米国南部に生きた黒人奴隷男女の恋愛模様を描いたラブストーリー。南北戦争前にそんな映画があったなら、それを観た黒人たちは感動し、「人生は素晴らしい!」と絶賛したことだろう。ーー現代人も似たようなもんだ。byハリウッド

●農園主が奴隷家族の安定を奨励することは経済的利益にも繋がったので、多くの者がそうした。奴隷の大半は家族ごと売られるか、家族の元を離れても良いと考えられる年齢に達した個人が売られた[27]。ジェノヴェーゼによれば、奴隷達は最小のやりかたで食べ物と着るものと家、それに医療を与えられた。黒い奴隷は農園で働き、明るい色の奴隷は家の従僕となり、よりましな衣服、食物、住居を与えられた[28]。フォーゲルは奴隷の生活における物質的条件は自由工場労働者のそれに比してかなり良かったとしている。現在の基準からすればそれほど良くはないにしても、この事実は19世紀前半の自由にしろ奴隷にしろ全ての労働者の厳しい運命を表している。典型的な農場奴隷はその全生涯で生産したものから得られる収入の90%近くを受け取ったと言われる[27]。

現在の「社畜」とそう変わりないように思うのだが‥。Workers Lives matter!

●フェミニズムもいいが、古代の母系社会もかなり偏っていたらしいことは知っておくべきだろう。たしかに女性が権力を握ったら迷信深い陰湿な社会になる可能性はありそうだし・・。世界に伝わる英雄伝説は魔物のような女性権力者を倒し、男系社会を築き上げる物語だったのではないか?

●命が一番大事なんて言っている奴はろくに物事を考えたこともなくただ言葉に酔っているだけなんじゃないか? それこそ、人間の尊厳などくそくらえ! 豚といわれようが人でなしといわれようがうまく立ち回った方が勝ち組だという戦後の悪しき風潮を生みだした根源である。

●コロナ関連の給付金がまだ届かない人は政府に延滞利息を請求してもいいと思う。

●自由、平等、多様性尊重はけっこうなのだがその主張の裏にあるのが現世至上主義の唯物思想であることに無自覚なのがなあ。唯物思想は畢竟、快楽主義のデストピアしか生み出さない。

●長い目で見れば政治で世の中は変わらない、それを不可逆的に変えることができるのは唯、技術と真実だけであるーーと自分は思っている。

●田舎は人付き合いが濃密すぎる。都会はその正反対。ちょうどよい距離感のコミュニティはないものか?いっそ限界集落を買い取り移住者のための新しき村を作ってはどうか?シェアハウスならぬシェアビレッジ。各家族がつかず離れずのバランスのとれた付き合いができる半田舎暮らし。

●生きることすべてが表現である以上、犯罪もまた表現であるだろう。したがって表現の自由という考え方は、犯罪もまた芸術であるという詭弁を導くことになる。

●表現の自由を盾に何を言っても許されるというならそれは最終的にモラルと文化の破壊、すなわち社会の崩壊に行き着くだろう。そこには誰も勝者はいない。しかし左翼活動家は意図的にそれを推し進めているのだ。彼らの最終目的を知るべし。

●引きこもりは欲のためならどんな辛い仕事でもやるという従来の人間観を打ち砕く存在である。それがエスタブリッシュメントにとって死活的な脅威だからこれほど非難されるのだろう。

●戦後、日本にいい男が少なくなった理由のひとつは社会的な「いい男像」が揺らいでいることにあるのでは?「いい女像」はそう変わっていないが「いい男像」は戦後がらっと変わった。そればかりか今も変わりつつあり明確になっていない。そうした基準の揺らぎがいい男を生み出す障害となっているのでは。

●一人や二人のブッダなら文化として容認できるが、その数が一定割合を超えたらエスタブリッシュメントにとっては脅威となる。

●武士道とは死ぬことと見つけたりなのである。いかに死ぬかを問わない限り、いかに生きるかは永遠に分からないのだ。

●新しい技術と新しい知識は社会を必然的に変革する。その意味で技術者とネット民は革命家だ。

●引きこもりの中には十分な資金が提供されれば、立派な社会企業家になりうる人が大勢いるように思う。金儲けしか頭にない鈍感でガサツな企業家はもうこれ以上要らない。今必要なのは社会の奥底からかすかに響いてくる小さな声を聞くことができる繊細な感性を持つ企業家である。

●自然災害でも被災者は政府によって究済され、多くのボランティアが殺到する。なのに現在の「失われた30年という」経済災害の被害者は無視され、放置される。

●左派は歴史を学べ。右派は経済を学べ。

●地方では車が必需品だ。なのに車があるから生活保護が受けられないなど、現実を無視した決まりを後生大事に守っているからセーフティネットからこぼれ落ちる人が出てくるのだ。そもそもこぼれ落ちる人が出てきた時点で可及的速やかに条件を再検討すべきだろう。それが行政の仕事であるはずだ。

●話題の誹謗中傷。自分も日本人の劣化には心を痛めている。だからこそ言いたい。左派はネトウヨにその原因を求めているが真の原因は左派自身にあるのだと。社会を人間の心にたとえれば左派は理性であり右派は感情である。感情を制御するのは理性である。即ち左派の劣化が日本社会の劣化の原因なのだ。

●言霊は大切だ。言葉が社会を作るからだ。昔「最悪などという言葉を使ってはいけない」とよくいわれたものだが、今では誰もが普通に使っている。おかげでそれこそ「最悪」な世の中になってしまった。

●左翼の唯物思想の責任は重い。おかげで世界は本来の豊穣さを失い、ただどこまでも横に広がる無味乾燥でフラットな世界に成り果ててしまった。そこには意識進化という縦に伸びるY軸も未来への希望という前後に伸びるZ軸もない。従ってそこはいかなる価値も存在しえないニヒリズムの世界である。

●現代の低レベルな社会ではしようもない商品を作った方が儲かる。

●婚活ビジネスに関わっているのだが。女性からのアプローチを望んでいる男性のいかに多いことか!彼らは女性に対して積極的に振る舞うことを罪悪であるかのように恐れているのだ。一方で女性達は依然として男性からのアプローチを期待している。現代の男女関係はフェミニズムによって歪んだままである。

●資本主義の対極にあるのは共産主義である。ならば右派は資本主義賛成で左派は共産主義賛成であるはずだ。ところが右派のさらに右側に国家社会主義があるというからややこしくなる。左右のスタンスがねじれているのは国家社会主義の位置づけが曖昧なせいだ。

●市場が「もっと」を要求するので自分ももっと上に行かねばと人は脅迫観念に駆られている。この市場の要求はすでに人間の平均的な能力を超えている。結果、過剰適応した一部の人間を除き、ほとんどが落ちこぼれとならざるをえない。半数以上が飽き飽きしたゲームをこれ以上続ける必要があるのか?

●なんでもいいから目の前にある仕事をやってみろ。そこから新しい道が開けるはずだ! そういった精神論は以前ならある程度通用したが今は果たしてどうなのか? 急速な技術革新にさらされる今の社会では、新しい道が開けるより先に道がどん詰まりになるケースの方が多いのではなかろうか。

●共産主義者による粛正(虐殺)の凄まじさに比べたら、ヒトラーのそれなぞ仮にそれが本当だとしても児戯といえるものだ。それなのになにゆえヒトラーばかりが矢面に立たされ非難され続けているのか?

●われわれ人間はたとえどんなに頭が良くても1000年の知恵の前には赤ん坊同然だということを銘肝すべきであろう。

●江戸時代中期、天明の大飢饉などの影響から米を投機の対象とする傾向が強まり米価が高騰、困窮した貧民層が各地で打ち壊しと呼ばれる暴動を引き起こした。米をマネーに置き換えれば当時とほぼ同じ状況の令和の今、民衆には打ち壊しに立ち上がる気力すら残っていない。

●陰謀論者が役立たずなのは陰謀を語っても解決策はけっして示さないところだ。そればかりか、「どうだ。俺は世界の裏側を知っているんだ。すごいだろ!」とそれをたんなるマウンティングの手段にしているところだ。

●犯罪や貧困に落ちた人を救うのは制度である。だが、人々を犯罪や貧困に落とすのは文化であり、とりわけ社会を覆う思想的風潮である。左右がねじれ、あらゆるものが極端にねじくれてしまった現在の社会的風潮を糺さない限り、犯罪や貧困は増えこそすれ減ることはないだろう。

●機械化が進んだ現代の労働はもはやそれほど苦痛なものとはいえないだろう。それどころかむしろ楽しい面も多々あるといってもよい。ただし周りにいるのが気持ちのいい人ばかりで各種ハラスメントがないという前提でだが。逆にいえば労働を苦痛にしているのは労働そのものではなく人であるということだ。

●「自分を変える」というと自分の核となる部分を根こそぎ別の何かに置き換えるイメージがあるが、そうではなく自己を拡張することでは? 外的世界(含ネット)を自分の中に取り込むことで内的世界を不断に拡張・再編集していくことーそれこそが自己変革であり、それ以外にありえないのではないか?

●左右は互いに相手の歴史認識と経済認識を叩き合っている。しかし歴史と経済は別物だ。坊主が憎いからと袈裟まで焼き捨てるのは子どもじみた態度である。なぜそのような風潮になったのか? そうなることで真実を隠蔽することができるからだ。その二重の隠蔽トリックの交点に位置するのがヒトラーだ。

●もはや国は機能していない。これは新たな敗戦だ。これから目の前にはっきり見えてくるのは経済的、社会的な焼け跡だ。

●民主主義が正しく機能するためには最低でも全国民の過半数がプロパガンダに影響されないだけの知的水準にあることが要求される。しかし偏差値的な知的能力という観点からその要求は永遠に満たされることはない。したがって民主主義は永遠に機能しない。絶望的だがこれが結論かもしれない。

●日本は近代国家でも民主主義国家でもない、とのたまう人が後を絶たないが、なにをいまさらだ。日本は明治維新以後、西欧から輸入したそれらをなんとか接ぎ木しようとしたが、そんな大手術が百年かそこらで可能なわけがない。戦後、「連合国によって真の民主主義を与えられた」というのも真っ赤な嘘だ。

●くだらない動画ばかりをアップする品性下劣なユーチューバーには大金を与え、重要な政治問題を論じる真面目なユーチューバーのアカウントは停止するーー。グローバル資本が作り上げようとしているこれからの新世界がどういうものであるかはここからも推測できるだろう。

●「死ぬな!生きろ!」。そうした言説があたかも正しいものであるかのように扱うから世の中おかしくなる。ちなみになぜそのような偏った考え方が出てきたのか? おそらく神風特攻隊の世界史的意義をなきものにしたい勢力の差し金だろう。

●社会を混乱させるには科学的なそれを装った「間違った問い」を投下するのが一番効果的である。間違った問いには答えがないにも拘らず、愚かな民衆はそれをめぐって終わりのない議論を続けるだろうからだ。その意味で南京虐殺や慰安婦のプロパガンダはある種の大量破壊兵器とみなすことができる。

●一度金融緩和すると歯止めが効かなくなる、という言説の根っこにあるのは戦前の軍部が悪の根源であるとする自虐史観である。すなわち現代の金融奴隷制を覆すにはまず日本軍悪玉説という歴史の嘘を覆す必要があるのだ。

●西洋ではアンチファ、日本では左翼。社会を窒息死させるのはいわゆる「いい人」たちだ。彼らは自らを高みに上げるためなら他者を地獄に落とすことも顧みない。

●公務員など特権的な地位にある上級国民と一般庶民との格差がますます激しくなってきている。ところですべてをお金をベースに考える自由経済であればそれら特権的な地位を金銭で売り買いしてもよいはずだ。自由経済を貫くのであれば市役所の課長の椅子をオークションにかけることも許可すべきであろう。

●流行りの思想というものがある。戦前でいえば骨相学のような人種主義思想だ。おそらく当時の人の多くは何も悪気があったわけではなく単純にそれが正しいものだと信じていたのであろう。顧みるに今の環境思想はどうか? 100年後に「あれは間違っていた」となる可能性は低くないと私は考えている。

●昨今、世間を騒がしている事件の数々は、死を忌避し、生のみを賞賛する現代文明による矛盾の噴出である。そもそもいかに死ぬかについての哲学がなければよりよく生きることなどできはしないだろう。

●コロナ禍による家賃滞納にお怒りの大家のスレッド。血も涙も無い訳ではないと自らを正当化する言葉のその奥に見え隠れするのはどんな事情があろうと約束は約束だ、死に代えてでも金を払えと迫るシャイロック的な発想だ。昔は大家といえば親も同然といわれたものだが日本人も様変わりしたものである。

●グローバリズムはコミュニズムの再来であり拡大版だ。もしそれが勝利した暁には、その災厄は人類史上かつてないものとなるだろう。

●陰謀論者が言うように、コロナ禍が資産の移転、いわゆる「血抜き」であればそう騒ぐことはない。そのようなことは歴史上、実際に幾度も繰り返されてきたことなのだから。しかしここで問題になるのは金など掃いて捨てるほどある超大富豪たちがたんに金が欲しくてこのようなことをするのかということだ。

●本来、互いに助け合うための仕組みが社会である。しかし最近、社会を資本主義というゲームの競技場に、政府をその審判とみなし、それ以上でも以下でもないと思う人が増えてきたような気がする。

●生活保護の申請窓口で相談者を追い返すという「仕事」は一体どれほどの経済的価値を生み出しているのだろうか?

●共産主義やフェミニズムに
100年前はまった←まあ分かる。それは知性がある証拠だ。
今はまっている←残念! それはたんにウマシカであることの証明でしかない。

●天皇は神官である。国王ではない。人の上にある王が人の世に差別をもたらすというのはそうかもしれない。だが神官という人の上に立つ存在がいなくなったなら倫理や道徳といったものも社会から失われてしまうだろう。あらゆるものがフラットな世界では精神性の高みなど何の意味もなさなくなるからだ。

●オシロスコープがひとつの生物だとしよう。彼には電流が波形として目に見えるが、その他のものは感知できない。一方、人間には電流は見えないが、光や音などは感知できる。人間が認識する世界とオシロスコープが認識する世界はずいぶんと違ったものであることだろう。

●歴史は繰り返す。大恐慌の後、資本主義に残された道は共産主義かファシズムか、の二者択一だった。だが誤解してはならない。いまこそ連合国史観という色眼鏡を取っ払った上でファシズムが目指したものを見直すべきだ。

●貧しい国の人たちを助けることはよいことだ。しかし豊かな国の貧しい人たちを助けるのは悪いことだ。なぜならそうすると市場経済が破壊されてしまうから‥。偽善だらけのこの世界ーー。

●すべては脳のなせる業

●ネトウヨだのパヨクだのの話ではない。日本人全体の劣化がはなはだしいことが残念でならないのだ。日本文明の可能性に密かに期待を寄せる者としてそれは残念というよりもはや絶望に近いものである。

●いまや市場競争のレベルは町内大会からオリンピックへとアップしている。しかし当たり前だが、オリンピックを戦える人材は限られている。町内大会ですら勝てなかったその他大多数がオリンピックに出場したところで勝てっこないのだよ。

●共産主義はたしかに失敗だったし、システムとしてもやはり無理があると思う。しかしファシズムはどうなのか? むしろ成功したからこそ叩かれているのではないのか?

●この社会において自由とはお金である。そして自由を標榜するこの社会では自由の奪い合いが一見自由に行われている。しかし本当は自由を奪う自由さえ限られているのだ。

●戦前の日本が悪いことをした? ではそのような悪いことを避けるにはどんな道筋を選べばよかったのか? 正しい道筋も示せないのにお前の選択は間違っていたと非難するのは不合理であろう。追い込まれた末に唯一の選択をせざるをえなかった人を一方的に非難し続けるのはある種のいじめである。

●大丈夫、真実を知る人(知識を他人を見下す道具にするだけの陰謀論者たちではない)が一定数いる限り、人類が奴隷化されることはけしてない!

●このパンデミックが「やらせ」なのかどうかはわからない。しかし少なくとも心ある人たちにすれば今までの奴隷システムをぶっ潰す千載一遇のチャンスであることは間違いないだろう。古い体制の中で奴隷として生き続けるか、新しい体制の中で絶滅させられるか、どちらもそう変わりはないはずだ。

●権力者による世界の私有化(囲い込み)はいまも続いている。最初は土地だけだったが、今では言葉までもが奪われている。典型的なのがいわゆる差別語である。実際、我々がそれら差別語をSNS上などで不用意に使用するとたちまち正義の監視員が現れて謝罪と賠償を求められるのだ。

●他人の間違いについては社会の責任を問うべきだが、自分の間違いについては自己責任を問うべきである。しかし、他人の間違いには激しく自己責任を問いながら、いざ自分の間違いということになると一転して社会の責任ばかりを問う人が最近多いように思う。

●自分も取引先にはそうしているが、今は民間同士の取り立ては案外温情的だ。苦しい台所事情が互いに理解できるからだろう。むしろ冷酷なのは役所だ。決まりだとの一点張りで絶対に待ってくれない。苛政は虎よりも猛し。もはや国は巨大な債権取り立てマシンになってしまった。

●金儲けというゲームはもう終わった。これからは新しい、それもより人間らしいゲームが始まることだろう。

●現代社会は「蠱毒」のようなものだ。ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの毒虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせる呪術である。勝ち残ったものは神霊となり、皆から祀られる。さらに飼育者は採取した毒でもって富貴を図ったり、人に害を加えたりする。

●とにかくいろんな意味で面倒くさい世の中になった。少なくとも牧歌的な時代は遠くなりにけりだ。

●左翼=個我礼賛の近代人 ネトウヨ(要するに左翼以外の全員)=個我すら確立していない前近代人+個我を超越しようとするポスト近代人 現在の思想的ねじれの根本原因はこういうところにあるのではないだろうか?

●生活の安定と引き換えに金融資本に人生を売り飛ばした公務員は現代の宦官も同然である。

●戦時中の鬼畜米英という言葉を英米人への差別だという人はいない。なのに事実上の戦争状態(情報戦争)にある韓国人に対して似たような言葉を発すると差別だとされる。韓国人側もひどい侮蔑語で日本人を攻撃しているのに‥。おそらくそういう人は誰よりも韓国人を心の中で差別しているのだろう。

●今の社会は明らかな奴隷制社会である。我々は金融奴隷制という名の奴隷社会に生きる奴隷である。まずはそれを自覚すべきである。

●「世界にも広がるヒキコモリ」というニュースがあったが、その多くは金がないから外出も人付き合いも最小限にせざるを得ないだけではないのか? 要するにヒキコモリとは社会的な病理というよりデフレが生み出した生活防衛的な新しいライフスタイルなのではないか?

●男女は平等であるべきだ。だが男女の別はあるべきだ。自分の無学な母も「世の中がおかしくなったのは女がわがままになったからだ」と昔から言っていた。1人の直感は100人の理屈に勝る。

●昔の貪官汚吏は貧乏人の布団をひっぺがえして持ち去ったが、それでもそれは誰かに再利用させるためであった。しかし現代の税務署員は貧乏人からなけなしの金を奪い取った上、それを再利用することもせずただシュレッダーにかけるだけなのである。#国庫としての税金という欺瞞

●自分、マーケッターだから「その商品を通して人を幸せにする」なんてことを人の前ではいけしゃあしゃあと言ったりもするんだけど、実は心の中では「本当にそうなの? 商品にのめりこみすぎて人生を誤ったりしないの? 買いすぎて破産したりしないの?」って思うんだよなあ。

●ケインズのいう美人(予想)投票。そこでは誰の好みでもない女性が選ばれることがありうる。いま市場で起こっているのはまさにそれだ。いまや誰も欲しがらない商品をみながこぞって売ろうとし、誰もなりたがらない人間にみながなろうとする。そしてその結果、誰も望まない社会になっていくのだ。

 

 

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