丸山真男神話の終焉
戦後を代表する政治学者の丸山真男は、戦前の日本が天壌無窮の天皇を中心とする無責任体制だったという理屈をこね上げることで一躍当代一の知識人の座を射止めた。
だが、そもそも責任というのは独立した個による自由意志を前提としているわけだが、近年の脳科学の発達はこの自由意志なるものの存在自体に対し大きな疑問符をつきつけている。
自由意志が存在しないのであれば独立した個人という考え方は虚構でしかなくなる。独立した個人がないのであれば責任というものもその根拠を失う。責任という考え方が虚構なのであればそれを担うべき、そしてその集大成ともいうべき西洋近代国家という概念もまたたんなる白昼夢でしかなかったということになる。
丸山が至上のものと崇める西洋近代国家が、そしてそれを構成する独立した個という前提が崩れたならば、丸山理論もその根底から崩壊することになるだろう。
西洋近代国家という狭い枠組みからのみそれを眺め、非難してきたいわゆる進歩的文化人たちには想像もできないことだが、日本の国体という概念にはもしかしたらこれまでの西洋近代国家という古い概念を超克できるかもしれない大きな可能性がひめられている。
左翼的・欧米的な思想的枠組みに縛られてきた現代の日本人はそのくびきを解き放ち、そのあたりをもう一度再検討すべき時期がきているのではないだろうか。