「全員が働かないとこの社会は経済的に成り立たない」という迷信

ベーシックインカムは財政的に不可能だとのたまう人が今もなお後を絶たない。そういう人は全員がきっちり働けばこの社会が財政的にうまく回るという前提でそう言っているのだろう。

しかし儲けの8割は2割の社員が生み出しているというよく知られた法則からもわかるように、経済的価値の半分以上を生み出しているのは実のところ一部の「できる人」だけである。そしてその他大勢はろくな価値を生み出していないのが現実だ。ベーシックインカムをもらったからといって怠けるような人を無理矢理働かせたところでいったいどれだけの価値増大が見込めるというのだろうか?

生産力の大部分を個々人の肉体労働に負っていた古代の農業社会ならまだしも、高度情報化社会である現代社会において個々人の労働の単純な総和などもはやなんの意味も持たない。意味を持つのは知的生産性に裏づけられた労働の質である。そして労働の質というのは強制からはけっして生まれないのだ。

これからの経済社会に必要なのは1000人のサラリーマンではなく一人のイーロン・マスクである。会社に一人のイーロン・マスクがいればあとの999人は遊んでいても給料がもらえるのだ。

「ベーシックインカムは財政的に不可能だ。全員が働かないとこの社会は回らない」と言っている人はもしかして自分もまたイーロン・マスクだとでも思っているのだろうか? まあそこまでうぬぼれてはいないだろうが、少なくとも「俺がいないとこの会社は回らない」くらいには思っているのではないか。

しかし、そういう人に限って経営者からはしばしば「お前などいなくても会社は回るし、むしろいない方が儲かる」と思われているのは皮肉なことである。