貸し借りは友を失う?
「貸し借りは友を失う」という標語とともに貨幣経済は始まった。
負債を将来に残さない現金による即時決済こそが友人関係を壊さない妙案というわけだ。
もっともである。
しかしそれと同時に貨幣の使用は友情を結ぶことを不可能にもした。
人と人とを結びつけるのは負債である。
即時決済の現金払いがいかなる負債も将来に残さない以上、そこにはいかなる友情も芽生えることがないであろう。
金融用語の「信用」と道徳上の「信用」はまったく異なる概念だ。
両者を混同することは金融業者を利するばかりでなく社会のモラルをも腐食させる。
金融業者は返済が滞っている債務者に対し、しばしば「信用のない人」というレッテルを貼り、そうすることで債務者があたかも道徳的に劣っている人であるかのように非難する。
しかしここで使われている「信用」という言葉はあくまでも金融用語であり、道徳用語としてのそれではない。
そこにあるのは言葉のすり替えである。
欺瞞であり、詭弁である。
そもそも金融業者はあなたが道徳的であるかどうかを判断する閻魔大王などではない。
それどころか、貨幣というインチキ商品でもって社会に寄生し、他人の労働の成果を巻き上げる強欲な詐欺師として道徳的に非難されるべきなのはむしろ彼ら金融業者の方である。
いつの日にか、真の閻魔大王の前に引き立てられ断罪されるのは、閻魔大王を装い人々の生き血を吸う彼ら金融業者の方なのである。