仕事へのやりがいが感じられない人がふえているのはなぜか? 

日本人の多くが自分の仕事にやりがいを感じられなくなっているように思う。私(50代後半)の個人的な感覚からしてもそのように感じる。以前はそれなりに仕事が楽しかったし、それなりに充実もしていた。

しかし最近、そうは感じられなくなった。年甲斐もなく、「この仕事にいったいどんな意味があるのだ?」という自問とともに仕事への情熱も急速にさめてきているのが正直なところだ。もちろん仕事が減り、しかも儲からなくなってきていることも大きいだろう。しかし、どうもそればかりとは思えない。そこにはなにか別の理由もありそうだ。

つらつら考えてみるに、この国の経済の仕組みが、その正体が明らかになったこともその大きな理由のひとつなのではないだろうか? 

その正体とは? 仕事というものが、我々がそれまで信じ込んでいたように世のため人のためにあったわけではなく、じつは株主や銀行家など一部の不労所得者のためにあったという事実である。とりわけ一部の超富裕階級のために世界経済が恣意的にコントロールされているという事実である。その事実が、多くの人たちに知られてきたせいなのではないか。

自慢するわけではないが、私自身はそのようなことはすでに何十年も前から知っていた。しかし、そうした事実を知る人は少数派だったため当時の社会には「労働は美徳」という昔ながらの単純な価値観がいまだ色濃く漂っていた。

そのため、個人的にちょっとひっかかる部分はあるものの、私としても仕事というものに対して、とくに疑いをもつことはあまりなかったように思う。少なくとも回り回って世のため人のためになるのだと単純に信じていたし、そう思い込もうとしていたふしがある。周りも一生懸命やっているんだし、まあいいか、という感じである。

だが、ここ数年、そのような状況は一変した。おそらく東日本大震災がひとつのきっかけになったのだろう。社会の多くの人がいまの経済システムの矛盾、おかしさに気づきはじめたのである。

そうして自分たちの仕事なるものの多くも実は世のため人のためなどではないということに多くの人が気づきはじめたのである。そればかりではない。私たちがいま行っている仕事の多くがあるいは地球環境と人間社会を破壊するだけでしかないかもしれないことに気づいたのである。

さらに決定的だったのは、私たちがその労働によって生み出した成果のかなりの部分が知らず知らずのうち一部の人に盗み取られていたという事実である。我々が本来受け取ってしかるべき報酬の一部が、いやかなりの部分が株主や銀行家といった不労所得階級の手にいつのまにかわたっていたことに気づいたのだ。

我々は長い間、巧妙に隠蔽されてきたその仕組みに気づいてしまった。我々は要するに体の良い奴隷でしかなかったのである。働くことが美徳だと信じ懸命に働く99%の人たちがいる一方で、その労働の成果を盗み取る1%のずるがしこい連中がいるという事実があきらかになったこの世界で、以前のように単純に仕事にやりがいを持てといってもその言葉はもはや偽善的な響きしかもたないだろう。

この詐欺的な経済システムにどう対処するか。我々はいま大きな岐路に立たされている。