神社から生まれる日本型ベーシックインカム制度
先日、スイスの国民投票でベーシックインカムの導入が否決された。下馬評では可決されるという話もあったのだが、接戦の末、結局否決されてしまった。その背景には様々なものがあるのだろうが、いずれにせよ実現までにはまだまだ紆余曲折がありそうだ。
しかし、ここで忘れてならないのは富の分配というのはかつて多くの社会にビルトインされていた仕組みであることだ。それらは、とりわけ近代以前、日本を含む世界各地で普通に見られるものだった。
例えば、日本ではかつて家を新築した際、近所の人に餅や小銭を配る風習があったが、それなどもそうした仕組みの一つである。
ベーシックインカムもまたそうした富の分配の延長線上にあるものととらえれば、それがそれほど奇異な考え方でも突飛な制度でもないことがわかるだろう。
もちろん細部についてはいろいろと詰めるべき部分は多々あろうが、全体としてみれば何ら問題はないはずだ。少なくとも目くじら立てて反対するようなものではなかろう。
そもそもこういったものは理屈を言い出したらきりがない。というよりそんなことをやっていたら何ら建設的なものを生むこともなく賛成派、反対派ともに議論倒れとなってしまうのがオチだ。
であれば、できるところからやっていくというのも一計であろう。
ということで個人的に提案したいのが、神社のお賽銭箱を利用した地域限定のベーシックインカムである。
日本には、集落ごとに産土神を祀る神社がある。そこの御賽銭箱に集まった浄財を集落の人たちで分配するのだ。いわばお賽銭ベーシックインカムである。
もちろん、神主が常駐しているようなところは、その一部を抜き取って運営維持費用に当ててもかまわないだろう。しかし、残りは皆地域住民で平等にあるいは必要に応じて山分けされるべきである。
そうすることで、地域住民間の格差は少しずつ解消されていくだろう。それに信心深い事業者は、儲かったのは神様のお蔭、商品を買ってくれた地域住民のおかげとして、その利益の一部をお賽銭箱に入れてくれるはずだ。
さらにそこからの分配によって懐の温かくなった地域住民は以前にも増して事業者の商品を買ってくれるだろう。そうなれば事業者はさらに利益を上げることになり、その利益の一部がまたお賽銭箱へと戻って来ることになる。
こうした好循環を通して、地域は自らを自らで養うがごとく「お陰様」という日本の風土に根ざした徳目をその中心に据えつつ、自立的な発展の道をたどることになるだろう。
日本各地の神社は、率先してこのお賽銭ベーシックインカムに取り組んでいただきたい。それは混迷を深めるこの日本の禊祓いとなり、必ずや日本再生へとつながるだろう。