ミニマリストの時代とベーシックインカム
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ』という本が売れているらしい。
「ぼくたちにもうモノは必要ない」。
まさにしかり。
生活に必要な最低限のモノはすでに事足りているし、それ以外のモノやサービスの多くが「無駄」であり、「よけい」なものでしかないことに私たちはもうとっくに気がついている。
そうした必要以上のモノやサービスとはここ100年ほどそれなりに楽しく戯れてはきたものの、いまや多くの人がそれに飽いてきている。
それは子供が成長するにつれ、おもちゃに興味を示さなくなるようなものだ。
しかしそうなるとまた問題も出てくる。
需要と供給のバランスが崩れることである。
高度に生産性が高まった現代社会では、一部の生産者がフル回転すれば社会全体の需要をほぼまかなえる。
もはや10人が10人畑仕事をしなくとも、そのうちの1人か2人だけで10人分全員の食糧が生産できる時代なのだ。
さらにロボットや人工知能も登場しつつある。
究極的にはすべてロボットが生産してくれる時代になるかもしれない。
しかしそれでは、残った人は職にあぶれることになる。すなわち失業者が増えることになってしまう。
彼らをどう養うか?
仕事がなければお金がもらえない。お金がなければ食糧はもちろん着るものも住む場所も得られない。
なかには生きるために犯罪に走ったり、暴動を起こす人も出てくるかもしれない。
働かざるもの食うべからずという。
しかしそもそも働く場所がどんどんなくなっているというのに、どうやって働けというのか。
新しい職を見つけてやる?
いやいやそれはさきほど言ったように基本的にもはや不可能なのだ。
需要がなければ供給もない。これが経済の大原則だ。
広告という洗脳装置でもって蜃気楼のような実体のない需要を一時的に創り出し、大衆に夢を見せ続けることはもはや困難であるとわかったはずではないか。
私たちは夢まぼろしではなく、この世界のリアリティをそのまま体験したいのだ。
そしてリアリティを体験するのに、必要以上のモノやお金のかかるサービスは基本的に不要だということに気づいたのだ。
この行き詰まりに対する打開策はないのか?
おそらく次のふたつしかないだろう。
すなわち、さらに強力な洗脳装置を開発し、ますます物理的、生物的欲求から乖離した夢まぼろしのような需要を生み出し、これまでと同じように生産ー消費のサイクルを永遠にまわし続けるか…。
あるいは国民全員に生活保障金を支給するベーシックインカムか、である。