
AIが突きつける真の衝撃──「近代的自我」という幻想の終焉
AIが社会にもたらすインパクトとして、一般に取り沙汰されるのは多くの場合、「仕事の自動化」や「雇用の喪失」です。しかし、私はそれとは別の領域で、しかもより深い次元で、より根源的な変化が進んでいると考えています。それは、人々が近代以降、当然のように信じてきた“近代的自我”という概念に、AIが静かなくさびを打ち込みつつあるという点です。
つまり、AIが揺るがしているのは 経済ではなく、私たちの人間観とそれを前提にした社会の仕組みそのものなのです。
■「自己責任」が成り立つ世界の前提が崩れはじめている
たとえば不慮の事故を考えてみるとわかりますが、「どこまでが自己責任なのか?」という線引きは簡単には決められません。
事故を引き起こした人の睡眠不足が原因だったとしても、その睡眠不足は長時間労働の結果であり、その長時間労働は職場環境の問題であり、その職場環境をつくったのは経済構造であり……と、原因をたどればたどるほど、責任は個人から離れ、社会全体へと拡散していきます。
私たちはこれまで、「自分の人生は自分の意思と努力によってコントロールできる」と信じてきました。しかし現実には、
どこからどこまでが「自分の選択」で、どこからが「環境による結果」なのかは明確ではありません。
近代社会はこうした曖昧さをなるべく切り捨て、「責任は個人にある」という物語を用いてきました。その物語があるからこそ、人は成功すれば「自分の努力の成果」だと誇り、失敗すれば「自分の責任」だと引き受ける仕組みが機能していたのです。
しかしAIは、この物語を根底から揺さぶります。
■AIは「自我のコントロール感」を薄める
AIの登場によって、私たちは次のような状況に置かれることになります。
自分よりも正確に未来を予測するAI
自分よりも的確に意思決定するAI
自分よりも自分の嗜好を理解するAI
これらが当たり前のものとして生活に入り込みつつあります。
すると、「自分の意思で選択している」という感覚自体が揺らぎはじめます。
実際、SNSでどの投稿を見るか、ECサイトでどの商品を買うか、動画配信サービスでどの作品を視聴するか。多くの選択が、すでにAIの推薦によって決められています。
それでも私たちは「自分の判断で選んだ」と信じています。しかし、実際にはその選択はAIによって外部から与えられたものなのですーー。
現在、イラストレーター界隈で取り沙汰されているAIへの反感も根っこにあるのは同じ問題です。それは、どこまでが個人の独創であり、どこからが模倣なのか、という自我の境界線を決めることの難しさであり、そこから生じる本質的な「揺らぎ」なのです。
こうした現実認識に対する揺らぎは、「自由意志とは?」「自分とは何か?」という根源的な問いを私たちに否応なしに突きつけてきます。
■AI時代に露わになる人間の真実
人生で起こる出来事の多くも、実のところ「個人が完全にコントロールできる領域」の外側で決まっていきます。
生まれる家庭
受けられる教育
出会う人間関係
社会の景気
健康運
災害や事故
これらの大部分は、本人の意思ではどうにもならないものです。それでも近代社会は「人生は自己責任」「努力すれば報われる」という架空の物語を前提に仕組みをつくってきました。
しかしAIが現実を可視化すればするほど、むしろ私たちは次のことに気づかざるを得なくなります。
「そもそも人間の人生は、個人の意思だけで成立していない。ということは“自我の全能性”はただのフィクションだったのではないか?」と。
■近代的自我の溶解が、社会システムの再設計を迫る
もしAIが「近代的自我」への信仰を揺るがすとすれば、その次に起こるのは社会制度の再構築です。
これまでの社会は、「社会とは別の自分という独立した存在があり、その自分が努力すれば社会をいかようにも変えられる」という物語を前提に成り立っていました。
しかしその前提が崩れるなら、次の問いが浮かび上がります。
個人の責任と社会の責任はどう分けるべきか?
人生を“自己責任”モデルでは説明できないとき、どんな安全保障が必要か?
成功も失敗もAIが予測し、導くとしたら、努力とは何か?
そもそも「自分らしさ」とはAI時代にどう位置づけられるものか?
こうした問いは、ベーシックインカムや新しい社会保障モデルの議論とも密接に結びついていきます。
AIが引き起こす変化は、経済の問題にとどまらず、人間観、価値観、そして社会制度そのものの土台を根底から揺さぶることになるのです。
■AIは「人間の価値」そのものの問い直しを促す
AIの衝撃は、仕事が奪われるかどうかという表層的な話ではなく、もっと深いところ──
“人間とは何か”という哲学的な問題を再び私たちの前に突きつけているところ にあります。
近代社会が築いてきた「自律的な個人」という物語は、これからAIの前で揺らいでいくでしょう。
しかしその揺らぎは、必ずしも悲観すべきものではありません。
むしろ、それによって私たちは初めて見える世界があるはずです。
「個人は孤立しておらず、関係の中で育つ存在である」
「人生における多くは、自分の意思の外側で起きている」
「人間は弱く、不完全で、他者や社会に依存せざるを得ない存在である」
AIは、こうした当たり前の事実を、逆説的に思い出させてくれます。
その意味で、AIは、人間の限界を暴くものではなく、
“人間の可能性を解き放つ装置”
であるといえるかもしれません。
近代が覆い隠してきた真実──「独立した個人などどこにもいないし、人は最初から支え合いの上に存在していた」──が姿を現したとき、
そこにはむしろ新しい希望が広がります。
AIはその変化のきっかけを与えようとしているーー。
私は、それこそがこの時代の最大の希望であると信じています。
