「悪魔のひき臼」によって解体されつつある現代社会

前回の記事「市場経済はなぜ贈与経済を侵食するのか」では、市場経済が本来的な社会=贈与経済をどのように浸食するのか、そのメカニズムを確認しました。今回は、その続きとして、経済人類学者カール・ポランニーが示した比喩「悪魔のひき臼」を手がかりに、戦後の日本社会が具体的にどのように「すり潰されてきた」のかを見ていきたいと思います。

■ 戦前:市場経済の“暴走”を食い止めていた植民地という安全弁

ポランニーが「悪魔のひき臼」という比喩で市場経済の危険性を訴えたのは、第二次世界大戦前のことでした。ひき臼とは、限りなく膨張する市場が人々の暮らしを粉砕する力のことです。

とはいえ、戦前に限っていえば、その力はまだ先進国の社会を完全に壊すほど大きくはありませんでした。というのも、当時の先進国は植民地をもっており、市場経済の矛盾はもっぱら植民地側に押し付けられていたからです。その植民地が安全弁として機能していたため、宗主国である先進国自身は、市場経済の膨張圧力から一定の距離を保つことができたのです。

しかし、この“安全弁”は戦後、突然消失します。

■ 戦後:市場経済の膨張が“宗主国自身”を襲い始める

第二次大戦後、植民地が次々と独立したことで、市場経済は膨張の行き先を失いました。その結果、矛先は宗主国自身の社会へと向かうことになります。さらに自由貿易体制が広がり、先進国同士が市場を奪い合う状況が生まれました。これにより、先進国においても贈与経済の領域ーー家族や地域共同体ーーが急速に浸食されていくことになったのです。

旧宗主国である日本もこの流れを免れませんでした。


■ 解体されつつある日本社会

植民地に向かっていた市場経済の膨張圧力が旧宗主国に向かって反転した結果、戦後日本の社会の形は根底から変わりました。象徴的なのが以下の三つの変化です。


① 核家族化の急拡大ーー「金の卵」として都市に吸い寄せられた若者たち

戦後復興と高度経済成長を背景に、都市部の労働需要が爆発的に高まりました。その結果、産業界は政府と組んで地方の若者を大量に都市へ送り込むことになります。その象徴が「集団就職」です。
中卒の少年少女は「金の卵」と持ち上げられながら、実際には低賃金労働力として都市部に集められました。こうして大量の核家族世帯が生まれ、大家族制は急速に崩壊していったのです。

また、核家族化は家電業界にとっても好都合でした。一家に一台で済んでいた製品が家族単位で複数売れるからです。「ニューファミリー」という横文字を冠した新しい家族像がメディアでもてはやされ、核家族が「近代的で理想的」なライフスタイルとして演出されたのもそのためです。


② 家族機能の衰退ーーケアを市場に置き換える流れ

この時期、家族のケア機能も急速に弱体化しました。大きな要因は女性の社会進出です。背景には、フェミニズムによる影響があったのは確かですが、産業界が新たな労働力として女性を求めていた点も無視できません。

その一方で、外食産業、保育・介護産業が成長し、「家庭で担ってきた役割の市場化」も進みました。家族は次第に「互助の単位」から「消費の単位」へと変質していったのです。


③ 地域社会の弱体化ーー空白を埋めた大衆娯楽産業

また都市への人口集中は地方の過疎化を招き、地域社会の結びつきを弱めました。しかも、そこで生まれた「空白」を埋めたのは、またしても市場でした。テレビ、映画、パチンコなどの大衆娯楽産業が成長し、人々は地域コミュニティへ回帰するのではなく、そうした市場サービスへと吸い寄せられていきました。こうして地域社会もまた、家族と同様に市場経済の圧力のもとで解体されていったのです。


■ 市場経済の膨張は今も続き、「社会の崩壊」を加速させている

以上の流れからわかるのは、戦後日本の家族・地域社会の解体が、単なる社会変化ではないということです。それは、市場経済が植民地という「膨張先」を失い、反転して国内の贈与経済圏へと一気に雪崩れ込んだ結果なのです。

かつては、

  • 市場経済=貨幣・競争・取引の領域
  • 贈与経済=家族・地域・互助の領域

という二つの領域がかろうじてではありますが、バランスを保っていました。しかし戦後はその境界が崩れ、市場経済が社会の深部にまで入り込み、贈与経済の領域を急速に侵食していくことになったのです。

そしてこの流れは今も止まってはいません。家族の疲弊、地域の空洞化、メンタル不調の増加、ケアの逼迫——これらの背景には、市場経済の圧力がもたらす「贈与経済圏の破壊」があります。

ポランニーの「悪魔のひき臼」という比喩は、まさに私たちが今そこで生きる現代社会の姿を恐ろしいほど正確に映し出しているのです。


■ いま問われているのは、「市場をどう制御するか」

市場経済は確かに繁栄をもたらしました。しかし同時に、それは社会の土台そのものを削り取る力も持っています。80年前にポランニーが警告したこの問題は、むしろ今の方が深刻だと言えるでしょう。

こうしてみると、私たちが今、直面し問うべき問いは明確です。

市場の膨張をどのように制御するか。
社会を支える贈与経済圏をいかに再構築するか。

この問いから目をそらせば、悪魔のひき臼が挽き潰すのは、私たち自身の暮らしと未来なのかもしれません。

広告


もう書けないとは言わせない!
三行から組み立てる超ロジカル文章術