社会進化論の呪いを覆すひとつの問い

「自然界は弱肉強食だ。だから人間社会も同じだ」——そんな主張を耳にしたことはありませんか。
社会進化論と呼ばれるこの考え方は、動物の世界にあるルールをそのまま人間社会に当てはめようとするものです。
特に新自由主義的な立場の人々は、「競争こそが社会を進化させる」と信じ、この理屈をもとに福祉や再分配を否定します。

一見すると、それはもっともらしい理屈のように思えます。
しかし、これに対しては、たった一つの問いを投げかけるだけで反駁することができます。

それは、「私たちはなぜ弱い者が立ち上がる物語に感動するのか?」という問いです。

映画でも、小説でも、アニメでも構いません。
世界中どこを見ても、私たちが心を動かされるのは「助け合い」「共感」「赦し」「自己犠牲」「再生」といったテーマです。
強者がたんに弱者を踏みにじるだけの物語に共感する人はほとんどいません。

もし本当に『弱肉強食』が動物界の真理であり、それがそのまま人間の本性としてもインストールされているのなら、むしろ弱者が現れた途端に攻撃され、押し潰されるストーリーや、困難に陥った人がなすすべもなくそのまま淘汰されていく物語にこそ拍手喝采が集まるはずです。

しかし、現実はまったく逆です。
私たちは、弱者を助け、困難を乗り越える人々の姿にこそ心を打たれ、涙を流しています。

進化は「競争」ではなく「共存」で起こる

そもそも現代の生物学では、「弱肉強食」という単純な構図はすでに否定されています。
進化は競争だけではなく、協力や共生によっても進みます。
むしろ、種としての繁栄には協力関係が欠かせないことが明らかになっています。

つまり、「強い者だけが生き残る」というのは、19世紀的な古い誤解にすぎないのです。

それでも今の社会では、「競争こそ正義」「弱者は自己責任」という言葉が繰り返されています。
しかし、こうした考え方は人間社会の本質を見誤っています。
私たちが「助け合い」を美徳と感じるのはたんなる道徳教育の結果ではありません。
それは、人間という種が共存を軸に進化してきた証なのです。

「弱肉強食」を信じる人は今もなお多いかもしれません。
けれど、その人自身も、映画の中で弱者が救われる瞬間に涙するでしょう。
その矛盾に気づいたとき、私たちは「人間社会が弱肉強食である」という考え方そのものが間違いであることにも気づくのではないでしょうか。

私たちは「強い者が勝つ」世界ではなく、「支え合うことで生き延びる」世界に生きています。
それこそが、進化の真実であり、人間社会の希望なのです。

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