マネーが稀少なのは商品が稀少だからだ。商品が稀少なのは社会の生産力が低いからだ。 社会の生産力が爆発的に高まった現在、そしてこれからは商品は稀少ではなくなる。 商品の希少性の低下はマネーの希少性を低下させる。マネーの歴史…
商品が稀少でなくなれば、生産は稀少な貨幣を得るという利益動機によってはもはや駆動されなくなるだろう。おそらくそれは自己実現動機、もしくは贈与動機に取って代わられるはずだ。
商品が稀少でなくなりつつあるのにマネーがいまもなお稀少であることが世の中に矛盾をもたらしている。 なぜそのような矛盾が放置されているのか? マネーは稀少でなければならないという圧力が裏で働いているのだろう。
マネーはもはや生産と分配を最適化するものではなくなった。むしろそれは生産を抑圧し、分配を機能不全にするばかりである。欠乏の時代から豊穣の時代への移行とともに資本主義とその双子の兄弟であるマネーの歴史的な役割は終わったのだ…
投資の大衆化・民主化が格差を解消する? ならば政府が民主的な手続きで国民の代わりに投資ファンドを運営すればよかろう。一億総投資家社会だ。カジノ資本主義社会は見方によってはベーシックインカム社会への第一歩でもある。
お金は労働の対価だから価値があるという考え方の裏には、労働が苦行でなくなったらお金の価値がなくなるし、それは困るという考え方がある。 だから労働というこの世の「地獄」をなくそうとは誰も本気で思わないのだろう。
生産力向上は消費者の有効需要がボトルネックになる。 有効需要が拡大しなければ投資は拡大しないし、投資が拡大しなければ生産も拡大しないからだ。 宇宙へも飛び出す程のテクノロジーを誇りながら、我々の生産力は消費者にお金がない…