仕事とは何か? ベーシックインカムの真の価値はその意味を問わないと見えてこない
ベーシックインカムは天使か悪魔か? アメリカで史上最大の実験
「私が分からないのは」とアルトマン氏が語る。
「UBIによって、人はより幸福になれるのか、生きる意味や充足感を得るために、仕事は不可欠なのかということだ」。
シリコンバレーで最先端を行くベンチャーキャピタル、Yコンビネーターのアルトマン氏の言葉だが、これはいかにも時代錯誤なものいいだ。それをいうなら、そもそも現代における仕事とはいったい何かというところから問うべきだろう。
パソコンの前にすわって株の売買をすることが果たして「仕事」と呼べるのか?
それは「投資事業」としていかにも「立派」な「社会的にもステイタスの高い」仕事としていまや社会的にも認知されてしまっているようだが、日本ではついこないだまでそのような仕事は博打打ちと同様に見られてきた経緯がある。
さらにいえば広告業もそうだ。いまでこそマスコミの花形職業の代表格のような顔をしているが、数十年前までは実業ではなく虚業というレッテルを貼られ、ビジネスとしては一段低く見られていたことを忘れてはならないだろう。
もちろん仕事は時代により変わっていくものだから、いちがいにその社会的評価や善し悪しを決めることはできない。しかし、気になるのは一昔前「汗水たらした労働」という表現に込められた敬意が当てはまる仕事がいったいどれだけあるのかということだ。
そもそも現代において仕事はある種のスポーツになっていやしないか? 一部の才能もあり、それが好きでたまらないという人が懸命に打ち込んでいるのが、現代のビジネスの真実の姿なのではないのか?
スポーツ化した仕事の世界で、「汗水たらして働く」という言葉がいったいどれだけの意味を持つのか? スポーツではなく別のことに興味をもつ人が、その世界で少々うまく立ち回れないことを非難することはできるのか? またそれをもってあたかも人生の敗残者のごとく全人格までも非難するような風潮は正しいことなのか?
いわゆる「仕事」と人生は切り離して考えるべき時が来ているのかもしれない。