市場原理か原始共産制か? 現代社会の分配原理とベーシックインカム
デヴィッド・グレーバーの『負債論 貨幣と暴力の5000年』の中に興味深い記述があった。
ーーイロコイ諸部族連邦の主要な経済制度がロングハウスであって、そこに物財のほとんどが貯蔵されては女性たちの評議会がそれらを分配しているーー
これは物々交換に関連して未開部族における経済システムを論じた部分である。
これは次のようにも読み替えられるのではないか?
「日本族の主要な経済制度が『会社』であって、そこに『貨幣』のほとんどが貯蔵されては『会社役員たちの評議会』がそれらを社員に分配しているーー」。
フリーランサーと違い、会社員というのは普通、その報酬を会社からの分配という形で受け取っている。
つまり、自らの分け前を直接市場と対峙した上でもぎとってくるのではなく、会社という共同体を通して受け取っているということだ。ということは、現代の会社も原始社会のロングハウスも似たようなものではないのか?
現代の会社員はスーツを着こなし、いかにも文明人のふりをしているが、実際には羽飾りと腰蓑をつけたイロコイ族同様、数千年前と同じ原始的な制度の中で生きているのではないだろうか?
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賃上げを求める労働運動が自らの保護者への子供っぽい反抗にしか見えないのもそのせいだろう。
会社員が労働者の半数以上を占めている現状を見れば、現代社会の半分以上は実際には市場経済ではなく原始共産制、あるいは家産制度のなかにあるというべきかもしれない。
つまり、現代社会における富の分配システムはいわれているほど市場原理的なそれではなく、いまもなお伝統的な家産原理の段階にとどまっているといえるのではないか?
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ベーシックインカム反対論者は、現代社会が高度に発達した市場原理社会であり、そこにおける分配も完全な市場原理によるものと思い込んでいる節がある。そのため彼らには、どこか原始共産主義を彷彿させるベーシックインカムがなにやら退行的なものであるかのように映るのではないだろうか?
しかし、現代における会社というのは要するに同じ釜の飯を分け合う生産・分配共同体である。その本質は原始共産制における共同体と同じである。そして会社員が労働者の半数以上を占めている現代社会は、実際にはその多くが市場経済ではなく原始共産制、あるいは家産制度のなかにあるというべきだろう。
こうしてみるとわかるように現代社会における富の分配システムはいわれているほど市場原理的なそれではなく、多くの部分はいまもなお伝統的な家産制の段階にとどまっているといった方がより正確だろう。
そうした伝統的な家産制分配制度とベーシックインカムがその原理において相当なレベルで親和性が高い以上、現代の市場経済の上にベーシックインカムという新しい制度を接ぎ木することにそれほどの困難があるとは思えない。それは拒絶反応に抗して他人の身体から細胞を移植するような危険な手術というより、むしろ先祖帰りを促すことで細胞そのものの再活性化を図る自然療法に近いといった方がより適切なのではなかろうか?