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日本軍残虐説にタイからの異議申し立て。タイ人が私費を投じて建てた親日的な戦争博物館

   

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真・真相はかうだ!様より転載

村人と日本兵との交流をテーマにした戦争記念館

タイ北部メーホンソン県クンユアム。ミャンマーとの国境にも近いこの小さな村に、世界でも珍しいユニークな戦争博物館がある。

入り口にはこんなメッセージが掲げられている。
「第二次世界大戦には多くの残忍な思い出があるでしょう。でも、私たちタイ人は違います。この戦争はタイ人と日本軍兵士との間に愛と絆を同時にもたらしたのです。私たちは、決して忘れることはないでしょう・・・」

メッセージからもわかるように、ここは中国などでよくみられる日本軍の残虐さに焦点を当てた反日的な戦争博物館ではない。日本兵と地元の人々との交流をテーマにした親日的な戦争博物館なのである。

この戦争博物館ーー正式名称は、タイ日友好記念館ーーを作ったのは、地元の警察署長だったチューチャイ・チョムタワット氏だ。赴任してきた当時、村人が日本兵の遺留品を大切にしていたことに感銘し、後世に伝えようとそれらを集め始めたのがきっかけだという。

館内に展示してあるのは、軍用トラックをはじめ銃、軍刀、軍服、認識票、水筒、薬、注射器、歯ブラシなど当時の日本兵が使っていた武器や日用品。さらに当時の写真などをふくめ1000点にものぼる収蔵品が一堂に集められている。また現地の少数民族の生活文化を紹介するコーナーや日本兵との暮らしぶりを再現した模型などもある。

背景には住民と日本兵との温かい交流が

ここクンユアムは、戦時中、ビルマ作戦の後方支援基地となった場所である。太平洋戦争勃発後の翌年42年頃から日本兵が駐屯し、タイ人労働者らとともに道路建設にあたっていた。前線であるビルマとの輸送網整備を目的としたもので、いわゆる泰緬鉄道計画の一環でもあった。

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だが、泰緬鉄道を題材にした映画『戦場にかける橋』で描かれている残虐な日本兵とは違い、ここにいた日本兵は現地の村人との間にとても友好的な関係を築いていた。

チューチャイ・チョムタワットさんは、記念館設立のいきさつを記した著書のなかでこういっている。「日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃんの子守などやってくれた。クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった」 。

またタイの元運輸大臣だったジャルーン・チャオプラユーンさんは、「私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。クンユアムの日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日本兵を私は忘れない」と振り返る。

インパール作戦で敗退した後、多くの日本兵が命からがら逃げてきたときも、住民は温かく迎え入れてくれた。インパールからの敗走路は、行き倒れた日本兵の遺体が散乱し、白骨街道と呼ばれた。ようやくたどり着いたクンユアムにも無数の遺体がよこたわっていたという。

クンユアムの人たちは、そんな傷ついた日本兵を介抱し、食べ物を与えた。日本兵の方も、クンユアムの人たちならきっと自分たちを助けてくれると考えていたようだ。

世界は等身大の日本兵の姿を知るべき

それにしても敗残兵といえば、極限状態にあり、気が立っていて何をしでかすかわからないと恐れられるのが普通である。それなのに恐れられるどころか温かく迎え入れてもらった上、手厚い介護までしてもらったことは、施しを善とする仏教国であることをさしひいても、当時の日本兵がいかに現地の人たちから信頼されていたかをしめすものであろう。

 

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