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アマテラス女神が再臨し、世界を統合する!? 霊的戦争としての大東亜戦争

   

ベルナルド・リエター著『マネー(なぜ人はおカネに魅入られるのか)』の中に面白い仮説があった。

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心理学者ユングによると社会(文明)は5つの元型から組み立てられている。元型というのは、人間の心理に元から組み込まれている情動の発生機序のようなものだ(私は脳の認識構造パターンだと考えている)。また元型にはそれが抑圧されると生まれるふたつの影(シャドウ)がある。

5つの元型とは?

●君主→(影)暴君・臆病者
●戦士→(影)サディスト・マゾヒスト
●魔術師→(影)超理性・アナーキー
●グレートマザー→(影)どん欲・欠乏感
●恋人→(影)耽溺・不能

リエターによると、これまでの文明社会では必ずひとつの元型が抑圧されていた。そしてそこに抑圧された元型が接触するとき、それまでの文明は崩壊するか、突然変異を起こすという。

たとえば紀元前3000年以上前の古代ヨーロッパ社会は、グレートマザー中心の母権社会だった。

そこに戦士の元型を中心とするインド・ヨーロッパ語族が侵入してきた。文明の衝突が起こった。戦いのエネルギーが不足していた古代ヨーロッパ社会は、徹底的に破壊された。

その後、インド・ヨーロッパ語族は古代ローマ帝国を形成した。ローマ文明は戦いのエネルギーを重視する反動として愛情、すなわち恋人の元型を抑圧していた。
そこに愛を唱えるキリスト教が誕生した。

文明の衝突が起こった。

ローマ文明はキリスト教を徹底的に弾圧した。キリスト教徒は虐殺された。

しかし恋人の元型に侵蝕されたローマ文明は突然変異を起こした。キリスト教ヨーロッパの誕生である。

キリスト教ヨーロッパは、魔術師(の影である超理性)を重視するあまりグレートマザーを抑圧した。女性性の抑圧である。

そこにキリスト教異端派が生まれた。それは抑圧されたグレートマザーの顕現でもあった。

文明の衝突が起こった。

魔女狩りが始まった。キリスト教ヨーロッパは自らの規範に合わないものを片っ端から火あぶりにした。

しかしキリスト教ヨーロッパはそれによって突然変異を遂げた。プロテスタント文明の登場である。

というのがリエターの仮説である。

さてここからは私の妄想である。

(魔術師の影である)アポロン的理性を絶対視するプロテスタント文明は、やがて世界征服に乗り出した。暴君的なプロテスタント文明によるグレートマザーの抑圧は、世界中の先住民族に対する弾圧を引き起こした。

世界がほぼプロテスタント文明一色に塗りつぶされようとしていたまさにその時、世界の片隅に日本という国が登場した。

アマテラス女神をいただく日本はグレートマザーを基調とする文明である。

文明の衝突が起こった。

日本は敗北した。

物理的な戦争に勝利したプロテスタント文明は日本文明の抹殺をはかった。

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しかしその一方でグレートマザーと接触したプロテスタント文明もまた危機に陥った。グレートマザーを体現する日本文明の挑戦の前にいつのまにか攻守逆転し、劣勢となってしまったのである。

それを象徴するのが、日本の「可愛い文化」である。

プロテスタント文明は、いま日本の「可愛い文化」の前に突然変異もしくは崩壊の危機にある。

一時期流行った渋谷のガングロギャルは黒聖母の復活であった。それはヨーロッパ社会が千年以上にわたり抑圧し、そのエネルギーが噴出しかけるたびにフタをしようとした女性性=グレートマザーのあからさまな顕現である。ヨーロッパの白人社会にもガングロファッションが受け入れられたのはそうした歴史的心理的背景があるからであろう。

さて、こうしてみると大東亜戦争というのは、アマテラス女神というグレートマザーの再臨をもたらすための戦いだったのかもしれない。

ただしそれは、プロテスタント文明に日本文明が取って代わるための戦いではない。5つの元型をバランスよく統合するための戦争である。

社会を一段階進化させるための、新たな世界文明を築くための最終戦争なのであろう。

その意味で、大東亜戦争はいまもなお続いている。

最後の決戦はこれからである。

そこではアマテラスが再臨し、グレートマザーの元型を復活させるだろう。その後、5つの元型が統合され、君主のエネルギーがバランスよくそのあるべき場所におさまるだろう。

ちなみに明治日本がグレートマザーの顕現であったという点に異議を唱える人もいるかもしれない。しかし、実際明治日本はそれ以外の何ものでもなかった。

その証拠に明治日本が目指していたのは、列強の規範に従うことであり、列強と共生していくことであった。列強を攻撃しようと最初から意図していたわけではない。これは戦士や君主などの男性的な態度ではない。むしろグレートマザーや恋人などの女性的、陰的な態度である。

明治日本が男性的にみえるのは、列強の圧倒的な男性エネルギーを前に恐怖にかられた結果、弱みを見せまいと男性のふりをし、強がっていただけである。

その後、戦争に突き進んでいったのも、自ら主体的な意思でそうしようと思ったわけではない。それは複雑すぎる外部環境への対応力がその限度を超えた結果、生じた一種のヒステリー反応でしかなかったのだ。

ちなみに戦後の日本は戦いを放棄し、生産のみを重視する社会であった。つまり戦士の元型を抑圧し、グレートマザーを礼賛する古代ヨーロッパ社会と同様だったといえる。まただからこそ、これほど再軍備に対する抵抗が強いのだろう。

しかしいまそこにインド・ヨーロッパ語族ならぬ中国という戦士(共産主義、復讐的心情)の元型をもつ外敵が忍び寄ってきている。危ういかな、危ういかな。日本。

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