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ムカツク!うざい!UQモバイルのテレビCMに対する違和感が半端ないぞ!

   

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星一徹の現代CMを叱るシリーズ UQモバイル「乗り換え編」

 

imgece15066zikazjどうも。星一徹です。‥万が一信じる人がいるといけないのでいちおう断っておきますが、もちろん伝説のスポ根ドラマ「巨人の星』に出てくるあの日本一の日雇い人夫、野球馬鹿一筋の頑固親父、星一徹本人ではありません。そのへんにいるというか、たぶんそういない一風変わった50代のしがない底辺親父です。

このシリーズでは、軟弱で軽薄という批評すらそれに価しなくなった劣化著しい昨今のテレビCMを星一徹氏のキャラクターを借りて滅多切りにしてみたいと思います。

野球しか知らないはずの星一徹がなんで畑違いのテレビCMなんかに口を出すんだよ、と早速突っ込む向きもいらっしゃるかと思いますが、じつをいうとこのなりすまし星一徹、もともと広告業界出身なのであります。

そういうわけで、まあそれなりに的外れではない批評ができるものと自負しておりますです、ハイ‥。

ということでここから星一徹風に口調を変えます。

 

「くそ生意気な小娘が何をやっているのだ!? ワシにはイミフだぞ!」

今回、俎上に挙げるのは、UQモバイルのテレビCM『イミフ編』だ。

バブル時代を思わせるくそ生意気な3人の娘がこれまたわけのわからないぬいぐるみと一緒に出ている例のやつだ。

これだ↓

とまあ、最初からエンジン全開でけなしてしまったが、ワシとしてはことほどさように違和感があるのである。

どこが違和感なのか?

ワシは口べただから、うまくいえないのだが、まずなにより一番ひっかかるのは娘たちが生意気すぎることだ。

本来、女というものは半歩下がって男の後にかしこまっておるべきだとワシは思うのだが、世間はどうやらそうでないらしい。

そもそもテレビCMにおいて女性がことさら生意気に描かれてきたのには理由がある。ひとつは戦後、女性解放のシンボルとして、あるいは男女平等の社会にふさわしいものとしてそのような女性像が求められたからだ。もうひとつは、男性からみた自虐的なジョークとして単純に面白かったし、世間もまたそれを面白がってくれたからである。

思えばこれも戦後の自虐的な風潮の一環でもあったのだろうとワシはにらんでおる。

しかしである。そのような戦後社会を支配し続けた自虐的な風潮は、今世紀に入って急速に退潮しつつある。もっと日本人は自信をもつべきだ、過度な自虐は有害でしかないといういわばジャパンルネッサンス運動が西暦2000年前後を境に始まったのである。こんなことをいうとすぐに右翼だとかいってレッテル貼りをする馬鹿者もいるが、それは完全に的外れだ。ワシ個人がどう思おうと、あるいは左巻き連中がどう思おうとも、この時期を境に社会の風潮が大きく変わったのはまぎれもない事実なのである。

この事実を認められない奴は少なくとも社会の公平な観察者であるべき広告マンとしては失格だぞ!

文句あるか? ワシは星一徹だ、こうみえても元広告マンなのだ。文句をいう奴にはこうしてくれる!

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さて、こうしてみると、このCMがモチーフとしている「生意気な女性」というイメージが戦後から20世紀の終わりまでの価値観にもとづくものであることがわかるだろう。このCMから漂ってくる「今更感」の正体もおそらくそこにある。言うなれば、このCMは前世紀の遺物でしかないのだ。さらにいえば、その時代錯誤とそこで使われている最新の映像技術とのミスマッチがさらに「コレジャナイ感」を増幅しているといえるだろう。

「『乗り換える』だと!バカモン、そんな言葉は尻軽女が使うものだ!」

もうひとつ、違和感を覚える点がある。それは「乗り換える」という言葉とそれをめぐる娘たちの一連のやりとりだ。

そこに突っ込みを入れる前に、CMの流れをざっとみておこう。まず最初に出てくるのは、深田恭子演じる姉と妹たちの間で交わされる「お姉ちゃんが彼氏を取り替えるかどうか」をめぐるやりとりだ。その様子がまた意味不明で、着飾った娘たちがそれぞれ妙なポーズをとり、しかも視線を動かすこともなく、互いに突き放すような言葉遣いで会話をしているというなんともシュールなシチュエーションである。そうしていつにまにかピンクレディの名曲「UFO」をバックにみなが踊りだすというこれまた意味不明な流れである。

しかし、ワシにはこの一連の流れでこのCMがなにをいわんとしているのか、さっぱりわからん。携帯(スマホ?)の乗り換えを勧めているのだろうが、それがなぜこういう流れになるのか、その必然性をふくめてまったく意味不明である。

意味不明を自覚しているのか、制作者自身もこれを『イミフ編』と名付けている。しかし、いうまでもないことだが、商業広告の世界で本当の意味での意味不明なものなどありえないことは制作者自身よく知っているはずだ。その上であえてこれを「イミフ」と名付けたのは、そこに「イミフ」という別の「意味」を持たせたかったからであろう。

しかし制作者の意図に反して視聴者はそのCMを観てもなんのことやらそこに込められた意味がほとんど汲み取れない。そのため、この「イミフ」というCMは本当の意味での「意味不明」なCMに堕してしまっているというのが現状だ。

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ちょっと脇道にそれてしまった。本題に戻ろう。さてワシがなにより一番腹立たしいと思っているのは「乗り換える」という言葉がここで冒涜的に使われていることだ。

いいか、ワシの時代、いや正確にはもっと前の時代だが、昔は男を取っ替え引っ替えするような女は誰からも軽蔑されたものだ。そういう女は尻軽女といわれて世間から後ろ指をさされたものだ。

『夕日と拳銃』という小説を知っておるか? 戦前、中国に渡って馬賊になった実在の日本人を主人公にした小説だ。作者である檀一雄は主人公、伊達麟之助を追って中国大陸へ渡ったやくざの妹おこうという女性にこう言わしめている。「女はね、一人の殿方を一生追い続けていくものよ。あっちのお方、こっちのお方とその都度目先を変えていたりしたら、それこそ無間地獄というものなのよ」。

見たか! これぞまさに日本女性の鑑である。

女性の美というのは、外面のものだけではない。こういう内面の美しさがあってはじめて真の美人といえるのだ。

それがどうだ。このCMでは、年がら年中男を取っ替え引っ替えしている尻軽女をあろうことか女王様かお姫様ででもあるかのように美化して描いている。

あるいは、このCMの制作者たちは日本人女性をみな尻軽女にしようとでも企んでいるのだろうか?

このあたり、制作者の意図がどこにあるのか、ワシにはまったく理解できん!

さらに、ここにはもうひとつどうしても突っ込んでおかなければならないことがある。

それは父親役のぬいぐるみ(ガチャピンというらしい)が「僕も乗り換えようかな」と最後につぶやく部分だ。それに対して、母親役のピンクのヌイグルミ(ムックとかいうらしい)と娘たちが「えっ!?」と一様に驚くという場面なのだが、これはいったい何を意味しているのか?

これがたんなる「携帯(スマホ)の乗り換え」を促すための演出以外のなにものでもないと受け取る人は少ないだろう。むしろ多くの人は、このやりとりから夫婦の離婚とその先にある家庭崩壊を連想するはずだ。

しかもこの母親が娘と同様、生意気なのであれば、冗談として笑って済ませることもできるが、こちらはどういうわけかいたって地味なぬいぐるみ(母親)である。要するに平凡な中年女性ということである。そんな平凡な中年女性がいきなり離婚を突きつけられ、家庭から放り出されたらどうなるか?

普通に考えたら、そこに待っているのは悲惨な末路でしかないだろう。

そうしてみれば、これがいかに異様なシーンであるかがわかるはずだ。これが面白いジョークだと笑える人はどうかしている。むしろそれまで笑ってみていた人であっても、この場面で一瞬にして顔がひきつるのが普通の反応というものだろう。

こうなるとワシとしては、いかに陰謀論めいていると揶揄されようともこう勘ぐらざるをえない。

このCMの制作者たちはやはり日本人の家庭に対して離婚を促し、家庭崩壊へ導こうとでも思っているのではあるまいか?

貧乏人はUQを買うな! 金持ちだけ買ってくれればいい!

最後にもうひとつだけ鼻についたことを挙げてみたい。

それはこの家族(?)がいかにも金持ちそうにみえることだ。いや娘たちの衣装や画面全体からほとばしる雰囲気は金持ちというより成金といった方がよい。

もちろん金持ちや成金が悪いというのではない。

しかし、バブル時代でもあるまいし、一億総下流化が進む今となってはあの成金趣味の演出は違和感がありすぎる。

たまたま日本財団の子供サポートのCMのすぐあとに観たCMだったということもあるかもしれない。

*ちなみに日本財団の「子供サポート編」や「SHARE編」はよい出来である。さすが佐藤可士和氏のディレクションだけのことはある。

ろくに食事もとれない、帰る場所すらない子供たちが大勢いるこの日本の現実を前にして、生意気な成金趣味の女たちを見せられたらどう思うだろうか? おそらく多くの人は不快感しか抱かないだろう。

もちろん経済的にも精神的にも余裕のある中流階級からすれば、そのくらいは演出上の許容範囲であり、目くじらを立てるほどのものではないという意見もあるだろう。しかしいまやその中流階級は絶滅の危機にさらされている。もはや日本国民の大多数は下層階級であるといっても、それほど間違いではないはずだ。

そうした国民の大多数の気持ちを踏みにじってまでも伝えたい企業のメッセージとはいったいなんなのか?

制作サイドからすれば、もともとお前ら貧乏人などはなから相手にしていないよ、ターゲットにしているのはある程度余裕のある中流以上の層だ、だからあんたらは最初からターゲットに含まれていないんだよ、という反論も返ってくるかもしれない。

しかしテレビCMというのは観る人を選べない。観たいと思わなくてもなかには観てしまう人、観ざるをえない人が出てくるのもテレビCMである。そうしたいやでも観ざるをえない人たちの気持ちも考慮するのが企業の社会的責任、いわゆるCSRというものではないのか?

そもそもテレビ電波は公共のものである。公園などと同様、公共の空間といってもよい。いくら使用権を買ったのは俺だといっても、公共のものを好き勝手にしていいはずがない。公共のものである以上、そこには自ずから一定のモラルが要求されるはずだ。

‥いや、スマン、スマン。ワシとしたことが少々、興奮してしまったようだ。

口べたなワシだが、こうやってこのCMの気になるところを挙げていくと、これ以外にもいくらでも指摘できそうだ。しかし、そうするとまた頭に血が上る一方だし、ワシとしてもまだ脳溢血で死にとうもないのでそろそろこのへんでやめておこう。

最後に一徹親父の一喝で締めることにしたい。

一徹親父の一喝

これ、そこの若造、広告マンであるならもっと社会の現実を見ろ! とくに世間の声なき声に耳を傾けろ! それができないなら広告マンなんぞやめちまえ!

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