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北軽井沢は、日本の満州!?

   

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あまり知られていないことですが、群馬県と長野県の県境にある北軽井沢は戦後、日本に帰還した満蒙開拓団が入植し、開拓した地域でもあります。そのせいか、町を散策していると突然日本らしからぬ地名にでくわして驚くことがあります。

そのひとつがハイロン湖です。ハイロンというのは旧満州の地名(現在の黒竜江省海倫)であり、付近に住んでいるのはかつてハイロン郊外に入植した開拓団の末裔だということです。


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湖といっても、実際には大きめの池でしかないのですが、それでもそんなちっぽけな池に広大な満州ゆかりの名前をつけたところに、住民の満州へのなみなみならぬ思いがうかがえます。

こういう現実を前にすると、あの時代の歴史をそれなりに勉強したものとしてはとても複雑な気分になります。と同時に歴史というのはなかなか難しいなとあらためて痛感したりもします。

これは歴史にかぎりませんが、人間にとって事実というのは結局のところ主観的な認知でしかないのかもしれません。たとえ同じ場所、同じ時期を生きた人たちであっても、そこで体験したことはそれぞれ異なりますし、ましてそれをどう認知したかは人によって千差万別です。ある人にとっては地獄のような体験だったかもしれませんし、またある人にとっては腹一杯ご飯が食べられる理想郷のような暮らしとして映じたのかもしれません。そしてそれらは当人にとってはいずれも事実であったのだろうと思います。

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後世の人は、満蒙開拓団は棄民政策だったとか、侵略の尖兵だったとかいろいろなことをいいますが、それらはいずれも歴史という色付きのフィルターを通した後世の評価でしかありません。そしてそれは後世からいわば神の目で過去を断罪できるわれわれと違い、一秒先の未来もみえないまま生きるか死ぬかの選択を強いられた当事の人々の真剣な思いや決死の覚悟、さらにそこから生じた生々しい体験などを捨象しているという意味できわめて無責任で一方的な評価だと思います。

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なので、彼らが体験し、生きた満蒙開拓団という史実について、ここでとやかくいうつもりはありません。願わくば、そのような史実があったということをできるだけそのまま素直に受け取りたいと思っているだけです。

とはいえ、農家の次男坊三男坊に生まれたばかりに地元を追い立てられるように満州へわたり、さらに敗戦後はソ連赤軍、中国人、朝鮮人暴徒に追われながら、ほうほうの体でようやく逃げ延びてきたかれらが故国日本で与えられたのが厳しい気候風土のゆえ地元の農民にさえ見捨てられていた土地だったという事実には、なんともいえないやるせなさを感じてしまいます。

と同時に、それでもなおそんな厳しい土地をふたたび一から黙々と耕し、ここまで切り拓いてきた彼らのもの言わぬ努力を思うとただただ頭が下がるばかりです。

ここ北軽井沢は一般に学者や文化人の別荘地として有名ですが、そうした観光客向けのイメージとは別に、一歩路地裏に入るとこうした一般にはあまり知られていない歴史が隠されています。私もせっかく縁あって越してきた町です。これからも古い歴史をひもときながら、新しい発見をしていけたらと思っています。

思わぬ場所に思わぬ歴史あり。これこそがぶらりとでかける地元散策のもうひとつの魅力なのかもしれませんね。

満蒙開拓団弥栄村の悲劇→

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