裁量労働制をめぐる内ゲバとその裏でほくそ笑む真の悪人たち

裁量労働制をめぐる議論が紛糾している。とくにいわゆる「左側」の人たちからの攻撃が目立っている。

しかしその論法にはかなり違和感を覚える。そうした議論はすべて市場原理を是認した上での議論だからだ。

そもそも市場原理の上で労使の綱引きをやること自体、限界があるというべきだろう。

裁量労働制は「使用者側」の都合でしかないというが、視点を変えればそれは地球規模での厳しい市場競争で生き残るための使用者側の必死の工夫でもある。

もしそこで使用者側が生き残れなくなれば、労働者側も生き残れないのだ。そうなったら裁量労働制がどうの残業がどうのというレベルの問題ではないはずだ。

そこまでいうのなら自らが「使用者」、すなわち企業家となり、市場の圧力に抗し、労働者を守ってもらいたいものだ。それが可能であればだが‥。

そうすることを拒否し、労働者という中途半端な境遇の中でひたすら経営側をのみ非難するというところがそもそもおかしいのだ。

真に非難すべきは経営者ではなく、市場原理とそれにもとづく資本主義というシステムそのものなのだ。

いつまで資本家と企業家をひとくくりにするのだ?

資本家からすれば企業家も労働者も同様、利益を生み出す便利な道具でしかない。すなわち企業家もまた労働者と同様、本質的に資本主義の犠牲者なのだ。

本来、手を取り合うべき同士が仲違いして一体誰が喜ぶのか? 資本主義とその裏側にいる真の支配者だけであろう。

いまの労働運動はそうした支配者による目くらましでしかない。もういい加減、その欺瞞に気づいてほしい。