コモンズの消滅が要求するベーシックインカム的なるもの

賛否両論あろうが、いずれにせよ、「ベーシックインカム」的なものがなければ人類の未来はないだろう。

なぜ未来がないのか?

最大の理由は、人類の生存に不可欠なコモンズが消滅しつつあることだ。コモンズとはもともと共有地を意味するが、ここでは太陽光線や空気、水、開墾可能な土地といった自然環境を含む、生存の手段を得るため誰もが無償でアクセスできるモノや場所と考えていただきたい。

極端な話をする。これまで太陽光線や空気は無償だった。水も地域にもよるがほぼ無料で手に入った。開墾可能な土地も無限にあった。だから人々は仮に街で食い詰めたとしても、村はずれの無人の原野に行き、その「誰の所有でもない土地」を開墾すればとりあえず食うには困らなかった。

そうしたコモンズが、生きる上で最低限のセーフティネットとなっていたのである。

問題は、そうした「誰の所有でもない土地」などいまやどこにも存在しないことだ。少なくとも先進国においてはそうだ。これは土地というコモンズが消失したことを意味する。

同様にいまや太陽光線や空気さえ無償で得られるかどうか怪しくなってきている。とくに大都会の一部では、日照権を買わなければ太陽光線さえ満足に浴びられないようになってきている。

このようにこの世界はどこもかしこもが「誰かの所有物」となっているのだ。それらを所有しない者は、ますます生きづらくなってきている。しかも生きづらいからと言って、どこかに逃げるわけにはいかない。勝手に開墾できる村はずれの土地がなくなってきているからだ。

16世紀、産業革命と歩調を合わせるようにはじまった土地の囲い込み、エンクロージャーはいまもなお形を変えて続いている。いま囲い込みの対象となっているのは、土地だけではない。その対象は太陽光線や空気、水、さらに「仕事」にまで及んできている。

仕事は、人が生きて行く上で不可欠なものである。しかしその「仕事」さえ、大企業によってことごとく奪われつつあるのだ。さらに人々が社会を営む上で不可欠な「交換手段」にすぎないはずのお金もまた一部の人間によって独占されている‥。

こうした囲い込みが極限にまで進み、もはやどこにも逃げ場のなくなったこの世界に、一定の「生存空間」を提供するのが「ベーシックインカム的なるもの」である。

もしそれが今後も長い間提供されなかった場合、コモンズを失い、逃げ場のなくなった人々はそのまま栄養失調で静かに息絶えるか、あるいは大挙して暴動を起こすしかなくなるだろう。