永遠なるものとお金

この世界のものは、すべて朽ち果てる。無常の世界である。そんな世界だからこそ、人は永遠に変わらないものを求める。不老不死を希求する。

不老不死を象徴する栄光の玉座にはかつて天の神が座していた。

だが、貨幣経済の浸透とともに、そこには「お金」が座るようになった。いつまでたっても価値を失わない貨幣は、不老不死の象徴としてかつての神に取って代わったのだ。

それではまずい。その通りだ。しかし、ではマイナス利子をつけるなり、持ち越し税をかけるなりして、お金を朽ちるものとし、その玉座から引き摺り下ろせばそれで済むのだろうか?

お金が去った後の玉座を空席にしたままで何も問題は生じないのか?

人の本性が永遠不変なるものを求めるものである以上、そこを空席のままにできるとは考えにくい。そこには必ず何ものかが座らなければならないだろう。

では単純に以前のように神に座ってもらうか?

それがいいのかはわからない。

しかし、それに近いものがその玉座に座ってもらわないことには少なくとも今の人間社会は立ち行かないだろう。

超越的な何ものかなしに社会がスムーズに回るほど人の意識レベルはいまだ高くないからだ。